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サッカーとの出会い(高校時代と背番号について)

2022年7月30日 土曜日

一般的な公立高校に入学が決まった僕は、入学式を前にサッカー部の練習に参加させてもらいに行くことにしました。特別誰か知り合いがいたというわけではなかったですが、学校の人に話を聞き、実際に練習に混ぜてもらうことができました。

ボールタッチの基礎練習からでしたが、小学校時代はキーパー、中学校時代もまともに基礎練習ができていなかった僕の足元の技術はひどいもんだったと思います。それでも必死に先輩たちについていきました。入学式が終わってからの新一年生、同い年では15〜16人(もっといたかも?)が一緒に入部することになりました。ガンバ堺出身から元野球部まで、個性豊かな仲間と毎日一緒でした。今でも付き合いのある大切な友人達とこの時出会えたことは感謝です。

高校サッカー部に入部してからは朝練(体育館でひたすらミニゲーム)、午後練(グランドにて練習、雨天時は室内にてフィジカルトレーニング)に加えて週に2回地元のクラブチーム(中学生)の練習に混ぜてもらっていました。当時の中学生にはその後静学に行くなど、技術も能力も高い選手が多かったのでとても良い練習になっていました。朝練のミニゲームでは1年対2・3年合同チームで対戦をすることが多かったですが、先輩らに負け続けることなく、勝つことも多かったように記憶しています。

1年時の春の大会ではベンチ入りも出場時間なし(1年からは3選手出場)。夏の大会では出場することができました。背番号は11番。1年生にしては良い番号だったので喜んでいました。ポジションは主にサイドアタッカーでした。

2年生からはFWに転向。当時の3年生の人数が少なかったこともあり、試合にはスタメンで出場することが多かったです。背番号も9番に中学3年時代もつけていた番号だったので好きな背番号を着けることが出来ました。スピードも技術もある同い年の選手とツートップを組むことが多く、身長も少し伸びてきていたので空中戦も得意にしていました。当時のキーパーは1年生で185センチ以上とサイズもありパントキックも上手だったので、シンプルなロングボールを僕がそらして相方が突破してゴールを決めるというような形もできました。

3年生になってからもポジションはFW。この時自分たちの世代が背番号を優先して決めれることになったので、11番、9番ときて何番にしようか考えていたのですが僕の選択した背番号は「17番」。僕の大好きな選手で当時セレッソ大阪からスペイン1部のマジョルカに移籍した大久保嘉人選手の背番号でもあり、ある日休みの日に家を整理していた時に出てきた小学校時代のユニフォームも17番だったため、憧れと自分の原点だったという意味で「17番」に決めました。これが社会人になった今でも「17番」を選んでいる理由です。

高校3年の最後の大阪府予選。結果的に最後の試合となった舞台は母校での試合でした。試合前から母校ということで、みんな逆に緊張していたように思います。試合は同点でタイムアップ。PK戦に突入し、僕とキャプテンが失敗し、高校生活最後の試合を終えることになってしまいました。

高校のサッカー部では、中学時代に引き続きフィールドプレイヤーとして、3年間一生懸命練習に試合に打ち込んだ3年間でした。強豪校でもなんでもなかったので、成績自体は全く大したものではなかったですが、今もまだサッカーができる技術と体力を身に付けれた3年間だったと思います。とても有意義な高校生活を終え、僕は大学へと進学しました。

つづく


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