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ヒーローロボット70年の進化論 ~ヒーローたちの肖像~

※この文章は2020年7月~に鳥取市わらべ館にて行われた展示「おもちゃと遊びの企画展 「ロボット」誕生百年 ロボット玩具のあゆみ」に寄稿した文章です。わらべ館は95年に鳥取市内に開館した童謡・唱歌とおもちゃのミュージアムで、おもちゃの収蔵・展示や体験イベント、企画展などを行っています。

序 制作者・スポンサーそして子供の間のヒーローロボット

TVアニメ『鉄腕アトム』(63年)放送開始と同年、巨大ロボットが活躍するアニメ『鉄人28号』が始まりました。日本のTVアニメは、当初から巨大ロボットアニメと軌を一にしていたのです。
しかし、アニメや特撮などのTV番組に登場するヒーローロボットは、スポンサーからのリクエストに応えなければならない宿命を背負わされていました。「30分間のおもちゃCM」と、当時これらの番組が評されていたことからもそれが窺えます。

その評価は長く変わりませんでした。今も高い人気を誇る『機動戦士ガンダム』(79年)を生んだ富野由悠季監督も、スポンサーに応えるため同作品内でGメカを追加したり(劇場版ではカット、コアブースターに変更)、『戦闘メカザブングル』(82年)『聖戦士ダンバイン』(83年)では途中で主役メカを交代させたりするなど、作品のストーリー・世界観に影響を及ぼしかねない「設定上のギミック」を行っています。作品が玩具の販売に左右された例は挙げればキリがないのです。

空前のヒット作となった超合金マジンガーZ。これをしかけた村上克司氏はその後も多くのヒット作を生み出すアニメ・特撮玩具にかかわる最重要人物

作中の「設定上のギミック」はスポンサーである玩具メーカーのリクエストに応える形で進化させられた側面があります。しかしそれを求めた玩具メーカーの考える「製品上のギミック」、つまり「変形する」「合体する」といった玩具の遊び方のギミックもまた、「設定上のギミック」に引っ張られるかのように進化していきました(ex.「超合金」のロボット玩具、タカトクの完全変形バルキリー、バンダイのプラモデルMSVシリーズなど)。
特に『ガンダム』放送時に発売され、人気を得た㈱クローバーの商品、ガンダムDX合体セットの「製品上のギミック」は明らかに「設定上のギミック」を逸脱しています。
この2つの「ギミック」からは、スポンサーと制作側の思惑の違いとぶつかり合い、そして相乗効果が見えるのです

玩具メーカーの思惑は「子供が何を求めているのか」を探っていった結果でもあります。玩具メーカーは子供に対し鋭敏にアンテナを立てながら、同時に逐次情報を投下することで子供を刺激し、商品のヒットを画策し続けました。

制作会社と玩具メーカー、そして子供。この三者の間で揺れ動いてきたヒーローロボットを俯瞰し、求められるヒーローロボットの姿を本稿では考えます。

第1章 子供はガチャガチャ動かしたがる ~『製品上のギミック』と『設定上のギミック』

制作会社と玩具メーカー、両者のせめぎ合いが両輪となり、作品としてのヒーローロボットを、そして玩具としてのヒーローロボットを魅力的にしていきました。ゲッターロボ(74年)は玩具としての変形を考えていないものでしたが、ライディーン(75年)やコン・バトラーV(76年)などでは、企画開始当初から玩具メーカーとの話し合いが行われ、作品内の「設定上のギミック」に近い「製品上のギミック」を持つ商品が販売されるようになります。

そもそもヒーローは玩具と表裏一体でした。仮面ライダーの変身ベルトやウルトラマンのソフビ怪獣が、やがてマジンガーZの超合金となり、そしてロボットの変形・合体を自分の手でできる玩具が子供達から求められ、玩具メーカーもその要望に応える商品を提供するようになります。「子供は自分でガチャガチャ動かしたがる」と、変形をリアルに再現できる玩具が販売されるようになるのです。
しかし『ガンダム』以前の玩具展開は主役ロボットのみが多く、その他のロボットについては塩ビ人形や文具などしか商品展開はありませんでした。それが㈱バンダイが発売した「ガンプラ」の大ヒットで大きく変わります。主役ロボット以外に注目が集まっただけでなく、消費者がそれぞれ設定を付け加えて独自の遊び方をするようになったのです。また、その状況を受けて玩具メーカーも作品にはない独自の展開をするようになりました。
ガンプラの大ヒットにより、作品を制作する側もまた、よりリアルで緻密な、そして複雑な「設定上のギミック」を持ったロボットを登場させ、玩具メーカーを刺激していくのです。

アニメ本編に登場しなかったロボをプラモにしてヒットさせたMSV。「登場しないがあったかもしれない」MSVはまさに設定上のギミック

コラムⅠ 80年代……ヒーロー不在の時代

70年代にヒットした『マジンガーZ』(72年)や『超電磁ロボ コン・バトラーV』(76年)などのヒーローロボット作品は、80年代に入ると大きく様相を変えます。ガンダム以降『太陽の牙 ダグラム』(81年)や『装甲騎兵 ボトムズ(83年)』などの「リアルロボット」路線へと変化したのです。また当時人気を集めていた劇場用アニメ(それ以前から劇場アニメはありましたが、東映まんがまつりやTVアニメの総集編などが主でした。『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』(78年)の大ヒット以後、完全新作の作品が増えるようになります)に目を向けても『幻魔大戦』(83年)、『風の谷のナウシカ』(84年)、『AKIRA』(88年)などのディストピア・世紀末ムードを色濃く持つ作品がヒットするようになります。『オネアミスの翼 王立宇宙軍』(87年)や『機動警察パトレイバー』(89年)など等身大のヒーローが主役になる作品が多くなるのも特徴です。同様に倒すべき悪役もまた「等身大」になりました。『パトレイバー』では主人公と対するのは個人で、世界征服を企む悪の組織ではありませんでした。
この情勢に呼応したようにそれまで人気だったウルトラマンと仮面ライダーは80年代に作られていません(ウルトラマンは80(80年)からティガ(96年)まで、仮面ライダーはスーパー1(80年)からBLACK(87年)BLACK RXの2作を挟むが、その後クウガ(2000年)までTVシリーズが作られませんでした)。
空前のバブル景気に世が浮かれていた80年代は、ヒーローが求められなかった時代でもあったのです。

第2章 おもちゃ屋にあったコミュニティ

60〜80年代、町のおもちゃ屋や駄菓子屋、そして縁日の屋台などは子供達のコミュニティでした。子供達はそこで今、流行している作品が何であるのかに触れ、情報交換をしていました。
その子供達のコミュニティに着目した玩具メーカーは出版社と組み、月刊コロコロコミック(小学館、77年~)・コミックボンボン(講談社、81年~07年)、テレビマガジン(講談社、71年~)、ケイブンシャ大百科シリーズなどで情報を投下します。それらで示された最新情報やプラモ狂四郎(82~86年コミックボンボンにて連載)のプラモデル改造テクニックなどが、ビデオの普及していない時代、一週間を待ちきれない子供達の情報欲を補った。「テレビ1日・テレビマガジン6日」。友達同士が持ち寄ってきたそれらの雑誌を回し読みして貪るように新しい情報を得る。それが子供の日常でした。

また町のおもちゃ屋に行けば新商品が並んでいました。店に貼られているポスターで新番組を知ったり、今までおもちゃしか知らなかった子供が、プラモデルのコーナーで新しい遊びに触れる。そういうコミュニティがあったのです。
しかしビデオが普及し録画に、そして配信へと視聴方法が移り変わり、更に流通革命によって町のおもちゃ屋は姿を消していきました。SNS時代となり、目に見えるコミュニティの繋がりもまた失われていったのです。

テレビマガジンは今もなお子供たちに新しい情報を伝えてくれている

コラムⅡ ガンダムのコンテンツマーケット……広がる「ゴッコ遊び」

『宇宙戦艦ヤマト』(74年)や『ガンダム』の大ヒットでアニメ消費者層の成熟・拡大が汎く知られるようになりました。これが日本にコンテンツマーケットをを生み出していきます。
それまで商品の販売は放送期間中がピークでしたが『ガンダム』では放送終了後に人気に火が付きました。その人気が再放送を促し、新商品展開→人気の再生産という好循環をもたらします。放送中には塩ビ人形程度しかなかったそれまでの玩具展開が新たに、しかも放送終了後も継続することを示してくれたのです。今でいうコンテンツマーケットという発想が芽吹いた瞬間でした。
『ガンダム』はさらに、新作も製作され(『機動戦士 Zガンダム』(85年))、その後40年以上も続くシリーズになりました。
また『ガンダム』は玩具だけでなく、作品世界に登場する架空の国や企業のコスチュームやグッズなどにも広がっていきます。子供のゴッコ遊びの道具だった玩具が、大人が日常で用いたり「コスプレ」で楽しんだり、多様にかつ長く作品を楽しむものへと拡大していったのです。

第3章 ヒーローロボットはどこに行く?

21世紀は冒険家というヒーローがいない時代です。20世紀中に人類は最も高い山も極地も征服し、月にまでたどり着いてしまった。人類に不可能が無くなってしまったのが20世紀でした(「もはや未踏が存在しないポスト・モダンの消費社会では未踏の征服などあり得ず、忍耐力、精神力、苦難に打ち克つ能力といった人間の側の尺度も問題にされない」登山家ラインホルト・メスナー)。
冒険者は普通の人が成し得ないことをやってくれる「夢の受け皿」とも取れます。冒険者(≒ヒーロー)が代わりに成してくれたことが、裕福になった個人でも自己実現できるようになった。またメディアの普及によって日本にいながらにして世界を識ることもできるようになった。結果、ヒーローが求められなくなった。それが80〜90年代でした。
80年代中期以降、ヒーローロボットは勇者シリーズ(『勇者エクスカイザー』(90年)~『勇者王ガオガイガー』(97年))、そして『トランスフォーマー』シリーズなど、玩具メーカー(主に㈱タカラ(現㈱タカラトミー))の意向を受けた「製品上のギミック」が強いものが主流になっていきました。『ガンダム』もBB戦士やよりギミックに特化した元祖SDガンダムなどで命脈を繋いでいました(ex.武者ガンダム)。
玩具業界では『聖闘士星矢』(86年)の聖闘士聖衣シリーズ(バンダイ)がヒットし、『ドラゴンボール』(86年)、『幽遊白書』(92年)『スラムダンク』(93年)などジャンプ漫画原作のアニメが隆盛を誇るようになっていきます。また子供の遊び方もファミコンの発売(83年)以降は変わっていきました。
ロボットは次第に、遠い存在になっていくのです。

ガオガイガーは今でこそ大人気だが、当時放送前から勇者シリーズ最終作と公表されており古き良きロボットアニメの鎮魂歌的な存在だった

ネット社会そしてSNS時代になると遊び方も多様化・細分化し、例えば玩具やプラモデルを自分で改造し、自由に披露もできるようになりました。それまでは戦車・戦闘機などスケールモデルが主軸だった模型誌の表紙をガンプラが飾るようもなります。

しかし細分化されたがゆえに、以前のような社会現象ともいえる大ヒットが生まれることも少なくなりました。しかし制作会社もスポンサーも過去の大ヒットの幻想を引きずりながら「売れる(売れそうな)」作品を求めるようになる。結果、ヒット作を終わらせず存続させるようになったのです。

ガンプラも、スケールモデルと異なり特殊な技術が必要無く「誰でもできる」ものだったはずが、一部の特殊な技術を持った人がやる趣味として認知されるようになっていくのです。

コラムⅢ 大人になった子供達

2000年代に入ると、子供時代にヒーローロボットを見て育った子供達が社会の中堅を担うようになってきます。その大人になった子供が当時はねだっても買うことができなかった「大きなおもちゃ」を自分で買えるようになった。パーフェクトグレードの1/60ガンダム(98年発売、価格13200円)やHGUC1/144デンドロビウム(02年発売、30800円)、マスターグレード1/100FAZZ Ver.Ka(20年発売、12600円)などの高額な商品でも高い販売数を示すようになりました。
 また、企業の重役や企画の決定権者として働いていることも多く、会社の宣伝や産業振興にロボットを起用する例も増えてきます。2009年にお台場で公開された1/1ガンダム(17年に終了、ユニコーンガンダムへと代わる)や神戸市新長田の鉄人28号、2020年に東京都稲城市に建立された実物大スコープドックなど、これら現実に出現したヒーローロボットの数々は、言うなれば当時憧れた「大きなおもちゃ」なのかもしれません。こうして、一度は遠い存在になったロボットが再び目の前に姿を現すのです。

変形もするお台場ユニコーンガンダムは、まさに「ギミック」を実物大にした巨大な玩具ともいえるモノ

2020年。作品の中だけのものであったヒーローロボットは今、現実の中でも確固たる存在を占めるようになっています。特にガンダムはシド・ミードや奥山清行といった著名なインダストリアル・デザイナーが実際にあるものとしてリデザインし、我々に18メートルのロボットが現実に存在する世界を想像させてくれています。

そして今年ついに、人類は1/1サイズの動くヒーローロボットを手にします。2020年秋、GUNDAM FACTORY YOKOHAMAとして実際に動くガンダムが公開されるのです。
2009年に初めて1/1ガンダムを見た富野由悠季監督は「なんで動かないんだ」と話されたそうです。制作者として富野監督は、玩具メーカーの思惑と子供達の願いを深く理解していた。その言葉は40年の時を経て、現実のものになります。
ヒーローロボットの誕生から70年。人々の願いの受け皿であるヒーローロボットが、目の前に現れます。
 
(文責 菰田将司)

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