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【月光の残り香】

神社という聖域からの眺めは生活感に溢れたごく普通な一本道だ。世界は暗闇に包まれ、月と電灯の光だけが辺りを照らしている。聖域の中の静寂から一歩外に出てみればそこには賑やかな街並みがある。光と闇。その2つの相反する世界の境界線になっているのは御神木である樹高25mほどの欅(けやき)の木だ。葉は5月にもなると木を隠すほどの勢いで成長し、異国からの訪問者の到来を祝福するかのようだ。青い葉が月光に照らされて透き通っているかのように見える。空に繋がるように聳(そび)え立つ巨木には幾つもの樹洞があり、そこは生の営みの場となっている。闇を跨(また)いで光に触れてみると、上空を蝙蝠(こうもり)のようなシルエットが舞うのが見える。ヒラリヒラリと舞っては消え、舞っては消えを繰り返し、気付くと電線で休息している。辺りを見回しては羽繕いをし、忙しそうに夜空を飛び回る。アオバズクの雄だ。しばらく1羽での舞が続くが朝方が近づいてきた深夜0300頃になるとシルエットはもう一つ追加された。アオバズクの雌である。真下から彼らを見上げているとその先には煌々と照らす月があった。角度を変化させ、少しだけ後退りすると1つのシルエットが月光に照らされて月の中にいるように見えた。暫くすると1つのシルエットにもう1つのシルエットが重なり合い、近付いては口付けを交わした。月の中に2羽のシルエットがシンクロし、辺り全体を神々しい雰囲気が包み込んだ。2羽の誓いは僅か2分程度だったが時が止まり、永遠を感じられる瞬間だった。月夜に照らされる彼らは妖艶だが、一方で壊れてしまいそうな弱さを併せ持っている。それほど脆(もろ)く、儚い舞なのだ。少しの動揺や不調は彼らの存在を危うくしてしまう。吹けば飛んでしまいそうな蚊弱さが宙に翻(ひるがえ)し浮かんでは消えていく。1度飛び立ち、その場から離れてしまえばもう2度と同じ風景には戻ってこないかもしれない一縷(いちる)の不安が頭を何度も何度も過(よ)ぎっては消え、過(よ)ぎっては消えを繰り返す。数秒の不在は永遠の別れを喚起する。消えてしまいそうな漆黒の影はそれでも同じ居場所に姿を反映させて安堵の気持ちを齎(もたら)す。虹(なな)色の軌道を映し出すその佇(たた)ずまいは僕の眼(まなこ)を抉(えぐ)り取ろうとするほど鮮烈だがそれでいて驚く程の繊細さを兼ね備えた唯一無二の情景だった。それまで出逢った中でこの場面に相当する出会いは数少ない。未来的で、それでいてもののあはれを併せ持った過去と未来を超越するような出立ちは類稀なる風景だった。夜の帳が開き、太陽の光が世界に希望を齎すとき、彼らの姿は静かに消えていった。新緑の香りが朝日に挨拶して、爽やかな朝を迎えた頃、ふと何かが背後を飛んだような気がして振り返るがそこには賑やかさを取り戻した一本道があるだけだった。

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