見出し画像

加速するコミュ下手

ええ、なぜこうも人と話すのが苦手か。
わたしは日々自問する。

人と関わるのが苦手であることは中学校の頃いじめみたいなことがあってからだ。人の悪意を純度100%で食らい、わたしの他人へのスタンスは「自分へ悪意をもっている可能性がある」になった。
流石にそれでは生きづらすぎるから、今では「そういう人もいるかもしれないし、そういう奴には何を言っても無駄」と軌道修正できているのだけれども、それでも人と関わることには常人の数倍エネルギーを使う。

この前職場で、「お前の車の駐車の間隔は広すぎる。あと10cm近くに停めないと駄目だ!」とおじさんからみんなの前で怒鳴られた。こちらが反論する間もなく彼は立腹しながらすぐにオフィスから立ち去ったのだが、騒ぎを聞きつけた他の職員がやってきて皆で駐車場を見た。「そんなことないんじゃない?」「隣停めたけどそんな感じに見えないけどね。」「あんな言い方しなくてもいいのにね。」と皆わたしの肩をもってくれたし、わたし自身もそんなブチギレられるほどの間隔で停めているようには思えなかったので、彼の言い分は無視することにした。というか、以前からわたしにだけ当たりが強いので、わたしなら何を言ってもよいと考えているんだろう。すごく癪である。こちらが忙しいのに変な雑用を任せてきたり、無理やり飲み会に連れて行かれたこともある。もう一切飲み会なんて行かないし、口も聞いてやらない。近づかれたら露骨に離れよう。29歳のわたしならそう思える。

しかし14歳のぼくは心の中に未だにいるわけで、あの怒鳴られを思い出すと心拍数が本当に上がる。職場に行くのも怖くなるし、胸も苦しくなる。幸い、そういう「症状」について話せる隣人が最近多いので、話せば少し楽になる。どうせ死ぬわけじゃないし、と思える。ただ、ゼロではない。14歳の被害者はまだ心の奥底でドロドロのグチャグチャのままでいる。なかなかよい鮮度で腐っている。

また、わたしの父というのが機嫌が悪いと怒鳴り散らす人間であった。職場で怒鳴ってきたやつも同じ歳なのだ。車の間隔ブチギレおじさんは、一瞬にしてわたしを実家にいた頃の恐怖感に突き落としてくれた。軽いフラッシュバックですよね。本当になんてことをしてくれるんだろう。この前父親と会う用事があったんだけど、具合悪くなって急遽やめたんだ。友達と日中一緒にいて、夕方から実家に戻るつもりだったんだけどその時の体調も相まってすごくつらいって話をしたら「無理しなくていいんじゃない。」と助言されてやめたんだ。ついこの前ですよ。実家を出て7年経つというのにトラウマがなくなっていない。そんなことも知らないで車おじさんはおれのトラウマを引きずりだしてくれる。やってらんねえよ。今日は一人称わたしにしてたのに思わずおれになっちゃったよ。

回りくどい説明をしたが、いじめと父のせいでわたしのコミュニケーションスキルは地に落ちている。つまり基本誰かに「怒られるんじゃないか」「嫌われるんじゃないか」というのがデフォになっているため、基本誰にでも奥手だし、ほんの少し会話に齟齬があるとすぐ呼吸が苦しくなる。会話を無理にしなくても済むような間柄になれば良いのだが、間を埋めた方がいい相手というのもいるだろう。わたしの素は実はおしゃべりなだからそれをいつでも出せればいいんだけど、なかなかそれを出せる相手はいない。自分なんて面白くないし、つまらないし、誰かを怒らせる天才なのだ、と逆に自負している。いらない自負。

この傾向は、歳を重ねるごとに落ち着いていくと思っていたのだが、全然落ち着く兆しがなく、むしろ逆な気がしている。自分で苦手な場面に気づき避けられているとも言えるが、苦手な場面が増えているようにも感じる。世の中のレベルが上がっていませんか。おれにはどんどん生きづらくなっている気がするのだが。この記事にオチなんてない。アラサーも日々もがいているのだというだけの話だ。つまらなく、普遍的な話。

この記事が参加している募集

振り返りnote

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?