万能ナイフの話
「単機能なアプリ」と「多機能なアプリ」と「シンプルなアプリ」について
の続きです。
よく万能ナイフ(十徳ナイフ、アーミーナイフ)を例に出し、「多機能すぎて使わない」みたいな現象を例に否定する話や記事を読みます。
あれはあれで道理があって納得するのですが、違う視点を書きます。
顧客が何を欲しいか
アーミーナイフ、万能ナイフ。 あれは中二病を掻き立てるものです。
サバイバルで一人で生きていくためのツール類は、中二病を発症させます。一言で言えば映画の見過ぎです。ウォーキング・デッドです。
この中二病の顧客は、万能ナイフを欲しいのではなく、違うものが欲しいわけです。中二病欲を満たす対象として万能ナイフがある。
機能が欲しい訳ではないし、機能を使う訳でもない。
これに似た話ではブランド品もです。もちろんブランド品がブランドとして君臨しているのは、品質があったからという理由が多いです。品質で顧客の信頼を得て、それを継続しているからブランド品として価値が保てる。
ただ、全てが全て品質が高いとは言えない。ただのロゴをつけただけのようなものが高額で売られます。
要は、売っているものと買いたいものの一致です。
「顧客が何を欲しがっているか?」というのは基本的な話なのですが、それがビジネスです。極端に言えば機能するかどうかがビジネスではありません。
基本は売れるものが正義です。
なぜフェイスブックやグーグル、アップルが正義なのかは、売れるものを作っているからです。これはスタートアップにも共通します。
例えば、このNoteのエディターも改行が上手く自分でコントロールできません。でもNoteに書くのは、普通にウェブサイトを作って自分で書くより読まれるからです。
他にもNoteを使う理由があると思います。人それぞれとも言えますが、それは〇〇という機能があるからではない理由がある。
ぶっちゃけ、Noteでしかできない機能はありません。無いのにNoteに書くのは何故か?それが根底の価値だと思います。
もちろん、その根底の価値を作り出すのに機能は必要かもしれません。ただし、機能はそれを演出する手段の一つであって、機能自体で売れているのかはまた別な話でもあると言う認識が必要です。
「機能での演出」の例ですが、1つの機能単体で見れば使われない機能だけども、必要な演出かもしれない場合もあります。
例えば松竹梅の選択する心理的なやつです。
松竹梅は機能では無いとも言えますが、この選択肢のデザインは機能の並び順でも同じことです。
デザインの話は形状だけの話ではなく、その背景からスタートする必要があります。それはルールでもあり、言い方を変えれば自由の制限でもある。自由を得ることでもある。
デザインは難しいですね。
以上です。