精度ではなく「不確かさ」という視点
機械学習の記事などが増えて「精度」という言葉を見ることが増えていると思います。
ただ、僕は違う視点の「不確かさ」という言葉を推していこうと思っています。
なぜかというと現実的なサービスに落とし込む際に「不確かさ」視点の方が何かと機能しやすい場合もあるからです。
この投稿ではサービスを作る際のデザインの要素としての不確かさを書きます。
*これから書く内容は一般的な「不確かさ」の定義とは少し異なる意味もあります。一般的な意味を知りたければ検索した方が良いです。
不確かさとは。
観察する対象は同じデータ。ただし、表現する視点が異なるだけ。
大雑把に言えば、99%の精度は1%の不確かさ。
99%の不確かさは1%の精度。
よく、「この精度ならイケる!」みたいな判断があると思います。
この視点は、「正しさ」という土俵から見た物事の判断です。
そうではなく「これぐらいおかしくても機能するよね」という判断にします。それが「不確かさ」視点。
この視点は、「許容できる最低ライン」という土俵から見た物事の判断です。
同じデータでも全く異なります。
意思決定のスタートが異なるだけで、サービスのデザインの質がかわるわけです。
もっというと、「不確かさ」の視点の方が「価値基準」がはっきりしています。事前に経営層や責任者のしたいことが明確になっている証拠です。
よくわからない場合は、無駄に精度をあげる行為になる可能性もあります。
精度をあげるのは悪いことではないとは思いますが、過剰でもビジネス的には意味がありません。
例えば、50%から70%にあげるための作業と、90%から99%にあげる作業は、作業の量や質、アルゴリズム、などあらゆるものが異なるケースが多いです。
50%から70%の方が作業者が作業した1分の生産性は高い。生産性という言葉は理解しやすいので使いましたが、別になんという言葉でも良いです。 要は効率が良いです。
これは、もっと分かりやすく書くと10MBの画像ファイルを3MBにする行為と、1KBのプログラムを300Bにする行為の違いです。
これ、作業というかアルゴリズムでも同じです。そもそも過剰に精度を上げているときは、偏ったデータなどになっていることも充分考えられます。不均衡データというやつです。 たまたま、現状のデータに合わせて精度が高い状態になっているという話。
ちょっと長くなるので終わりますが、「不確かさ」の方がサービスのデザイン上、使えると思います。
「不確かさ」をベースに考えられるということは、サービス哲学や価値を事前に決めている証拠でもあるからです。
以上です。