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感謝。感謝のとちぎ国体

とちぎ国体終了
栃木県の皆様、関係者、協賛企業の皆様や地域住民の皆様素晴らしい大会をありがとうございました!
応援もありがとうございました。

数年ぶりの国体。
娘栃木県代表、私沖縄代表の親子参加を目指して
沖縄県選手権国体予選へのチャレンジを決めて、準備。

ようやくたどり着いたとちぎ国体。
10年も住んでいたらねぇ、もう◯◯と変わりません。

結果は受け止めてます。わかっています。
何を言われようと私の責任です。走っているのは私だから。

選考して頂いた方々に申し訳ない気持ちただそれだけです。
残り三周後半で脚が攣り、一周を単独で走り続け残り一周行けずにタイムアウト。

一人になり、たくさん。たくさん。走りながら考えました。ずっと考え続けて。
この年齢と経験やこれまでの実績を踏まえて、役割もありました。
今現在の沖縄県選手団にフィットするには?
何をどう声かけするのか。

ここまでくるのに、今ある環境で全てやってきた上での結果。

おそらくというか、国体はこれが◯◯。
◯の中はまだ自分の中で文字に出来ません。

自転車競技始めたきっかけの大会が国体。

自転車競技の事知らなくて、親の知人に言われて初めて自転車部がある事だけ知って行った高校入試面接。
『自転車部に入って国体に行きます。』
ただそれだけ伝えて、面接の先生と色々と話して無事に入学し、高校2年生で初めて出場。

あれから今。

18回目かな?汗
入賞は2回だけ。常に、なぜか高い壁として前にあった。ここにきてもまだまだ壁は高い。

残念というより何かわからない気持ちが今自分の中にある。

国体を知ったのは、地元沖縄の海邦国体。
幼稚園年長で総合開会式、皆んなで踊った事から始まり当時下宿を受け入れていた実家にサッカーの代表が大勢民泊で泊まりに来ていた。
可愛がられたなぁ。帰ったら寂しかったな。

それから数年、自らが出場しそして今、住んでいるとちぎ県でのとちぎ国体。
あの時踊っていた少年がこういう巡り合わせになるとは不思議です。

今、色々と気持ちの整理。

最後に、沖縄県選手団の皆さんありがとうございました。親と変わらない年齢の私が入り、サポートしてもらい非常に助かりました。
本当に、本当に結果的に申し訳なく思っています。

本日帰路へ向かい、私は一足先に解散でしたがお気をつけて沖縄まで帰ってください!

次は、来月のツールドおきなわ。
ここでも、役割をしっかりと果たして好成績が出続け始めている沖縄選抜が力を発揮出来るようにしていきます!!

新時代の若手や選手との交流楽しみです。

皆様ありがとうございました!


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