見出し画像

【備忘録】ウィリアム・ミッチェル/トマス・ファシ『ポスト新自由主義と「国家」の再生:左派が主権を取り戻すとき』(その2)

ウィリアム・ミッチェル/トマス・ファシ『ポスト新自由主義と「国家」の再生:左派が主権を取り戻すとき』で私が重要だと感じた箇所を紹介する2回目です。その1はこちら。なお、その1で書き忘れていましたが、強調は引用者によるものです。

その2は「Ⅱ 二十一世紀のための進歩的な戦略」からの引用です。第8章で現代貨幣理論(MMT)、第9章でジョブ・ギャランティーが簡潔で分かりやすく説明されており、これを読めばMMTに関する基本的な内容について把握できるようになっているかと思います。そして最後の第10章は、本のタイトルになっている「「国家」の再生」に向けた計画として、主要部門の広範な「再国営化」が提案されています。

その1と比べてかなり分量が多くなってしまいました。それだけ(私にとって)有益な知見が詰まっていた本だったということです。

一般的には、政府は支出を行う前に、中央銀行に保有する口座を十分な資金を有していなければならず、また、利用可能な資金が十分でない場合(つまり、支出が収入を上回る場合)には、国債発行を通じて赤字を「補填する」必要がある。(中略)政府は一般的に「借り換え」(つまり、旧債務の満期到来時に新債務を発行すること)によって国債を償還するが、法定不換貨幣の新規発行によって単に国債を消滅させることも可能である。(p255)

技術的には、政府は支出するために前もって資金を「必要」としないし、無から通貨を創造できることからすれば、民間部門に国債を発行して赤字を埋める「必要」もないのである。(中略)政府は事実上、貨幣創造によって赤字を賄うことができるのである。(中略)
しかし、ほとんどの人が理解していないのは、主権を有する政府は国債を全く発行しなくても財政赤字を計上できるということである。(p256~p258)

国債の発行は事実上、金融機関、個人富裕層、外国政府であることが多い国債購入者のための企業助成策の一形態に等しい。(p258)

OMF(引用者注:Overt Monetary Finance、本書での訳は「公然の財政ファイナンス」)の場合、赤字によって債務総額が増えることがないため、(それがいかに根拠に欠けるものであるにせよ)債務に関する多くの妄想症を一掃するという付加的な利点もある。(p258)

財政政策を、それが経済においてどのように作用し機能するかによって判断するという原則を、われわれは「機能的財政」と呼ぶことができる。……政府は、その経済における総支出が、現在の価格で完全雇用水準の生産物を購入するのに十分な支出額より多くも少なくもならないように、支出と課税の割合を調整すべきである。これにより赤字、借入金の増加、「紙幣印刷」などがもたらされるとすれば、これらのこと自体は、良いことでも悪いことでもなく、完全雇用と物価安定という望ましい目的を達成するための手段に過ぎないのである。(p260)

国債発行は、投資家に有利子資産を提供して[政府の]赤字支出から生じる銀行システム内の超過準備を排出することで、金利維持機能を果たすことができる。(中略)
中央銀行は、超過準備に対して利子を付すことで同じ結果を達成することができる。そうすれば中央銀行は、プラスの目標金利を維持するために、いわゆる公開市場操作で民間銀行に国債を提供する必要はない。(p265)

アバ・ラーナーが述べたように、財政赤字は「それ自体、良いものでも悪いものでもない」。(中略)政府の目標は完全雇用と国民の幸福水準向上の追求であるとする視点に立てば、政府が財政黒字を計上することが健全である状況も確かに存在するかもしれないものの、たいていの場合は継続的に財政赤字が必要となる。(p267)

非政府部門の「外側に」金融資産の源泉がなければならない。これは政府部門以外にあり得ない。(p270)

単純な二部門の経済では、非政府部門が全体として貯蓄を欲した場合、その支出は所得よりも少なくなる。大量失業の増加を防ぐためには、政府が収入を上回る支出を行う(つまり、財政赤字を計上する)ことで、各期の支出不足を解消しなければならない。(中略)ほとんどの国では一般的に、(国内民間部門の全体的な貯蓄欲求の経時変化に伴い、対GDP比率が変化する)継続的な財政赤字が必要となる。同様に、失業が生じるのは、(政府赤字に一致しなければならない)非政府部門の全体的な貯蓄欲求を考慮した上で、その期の税収に比べて純政府支出が少なすぎる場合、すなわち政府支出の水準に比べて租税が高すぎる場合である。(p273)

政府は、企業が利用可能な労働資源を目いっぱい活用するのに十分な水準の生産と雇用を厭わないような総支出の維持を目指すべきである。(中略)
政府が財政面での指導力を発揮することを拒めば、不況に陥る。つまり、財政赤字が不十分であっても、貸出による資金供給が実際に拡大することで民間部門の成長に応えられる状況もあるが、この成長は本質的に不安定なものである。安定した成長と雇用の基礎となり得るのは財政赤字だけである。(p274~p275)

ある国がどんな規模であれ継続的に経常収支赤字を計上する能力は、その国の自国通貨建ての金融債権を蓄積したいという外国人の欲求に依存する。その意味では、MMTの考え方からすれば、経常収支赤字は、その赤字国の海外部門の貯蓄欲求を「満たす」という外国人の意欲の表れである。(中略)
赤字国に流入した資金は最終的に誰かによって支出されることになるが、「それが支出されると、財やサービスに対する需要が生み出され、ひいてはその産業に雇用が生み出される」のである。したがって、貿易赤字が輸出部門の雇用喪失をもたらすと考えるのは妥当だが、集計レベルで全体的な雇用喪失をもたらすと信じるべき理由はない。(p282~p283)

「消費者物価の変動と名目為替レートの変動の間の相関は、過去二十年間、多くの国々で非常に弱く、かつ低下してきた」ことが、経験的証拠によって示されている。(p291~p292)

資本規制は、変動為替相場制においてさえ、生産的投資を支える資本流入を投機的な資本流入から隔離するため、そして不安定な為替レートの変動を回避するために利用することができる。実体経済とつながっていない非生産的な金融フローや、国境を越えた資本移動を活発にする他のあらゆる金融取引は、単に「規制」されるだけでなく、違法だと宣言されるべきである、というのがわれわれの立場である。(中略)
理想としては、これを国ごとに課すのではなく、すべての国に及ぶ多国間ベースで導入すべきである。しかし、そのような国際的な約束がない場合には、投機的な金融資本の破壊的な力に対する有益な防護壁として、各国が一方的に資本規制を課すことを検討すべきである。(p295)

MMTは、繁栄に対する究極の制約は、国民の技能や天然資源など、国家が動員できる実物資源であることを示している。(p296)

国際機関の役割は、為替レートによって食料が貧困層の手の届かないものになってしまうことがないように、その国の通貨を購入することになる。(中略)
食料その他の絶対不可欠な一次産品に対する投資銀行による投機を禁止する、新たな国際協定が必要である。より一般的には、実体経済の運営の改善とは必然的な関係のない違法な投機的金融フローを禁止する、新たな枠組みが国際レベルで必要である。しかし、前述のとおり、そのような国際的な約束がない場合には、各国が一方的に資本規制を課すことを検討すべきである。(p304)

破壊的な技術革新の問題に直面した場合のより適切な課題は、職を失った非熟練労働者が別の技能や仕事に移るのをどのように支援するかである。(中略)可能であれば、労働者は教育や訓練の仕組みを通じて、新しい高・中位の仕事に就けるように支援されるべきである。(中略)すべての労働者を民間部門の上・中級技能職に移行させられないと分かった場合には、国家が代替的に雇用を直接創出する必要があり、生産的な仕事についての代替的ビジョンを生み出す必要がある。(中略)
進歩主義者の役割は、人間の労働に対する欲求と包括的な社会的目標に沿った新しい種類の雇用の開発であり、そしてより一般的には、生産的な仕事の概念を根本的に見直すための枠組みの開発であるべきだ―(p310~p311)

ベーシックインカム・ギャランティの導入は、フルタイムの仕事から低賃金・低生産性のパートタイムの仕事へ、そして熟練労働の単純作業化、最終的には平均的な物質的生活水準の低下、という流れを悪化させる可能性が高い。こうしたことから、相当の規模のベーシックインカム・ギャランティであっても、「財政中立」の環境で導入された場合、総支出や雇用への影響は比較的少なく、極めて不十分な労働力の利用が持続する可能性が高い。(p317)

重要なのは、JG(引用者注:ジョブ・ギャランティ)が、社会的・経済的成果を達成するための従来の財政政策の利用に取って代わるものではないことである。実際、政府は、十分な水準の公教育、医療、保育などの幅広い社会支出によりJGの賃金を補うべきである。また、後述する通り、大規模な公共インフラの整備は依然として極めて重要であり、JGの導入によって、政府がこうしたプロジェクトを推進する能力が損なわれることはない。(中略)
JGの労働者は、都市再開発プロジェクトその他の環境・建設事業(森林再生、砂丘の固定、河川の流域の浸食防止など)、年金生活者の支援その他のコミュニティ事業など、多くの社会的に有用な活動に貢献できる。(p323~p324)

JGの導入と並行して、社会が適切と考えるいかなる移転支出制度(失業給付金の提供を含む)でも選択できることを指摘しなければならない。(p334)

実のところ、社会的な価値があるにもかかわらず、今やボランティアの範疇と見なされている多くの職務が、かつては多くの場合有給の仕事であった。(中略)
JGは、有意義な仕事とは何かを、徐々にではあるが根本的に見直す絶好の機会を提供している。(中略)
JGを通じて、社会は生産的な仕事の概念を「有給の仕事」(これは、現代的な言い方をすれば、企業に私的利益をもたらす活動に特に関連している)の領域をはるかに超えて再定義し始めることができる。(p338~p339)

雇用創出を通じた完全雇用の実現の極めて貴重な利点は、自尊心、社会的包摂、自信の形成、技能の向上などのあらゆる利点以上に、毎朝両親の少なくともどちらかが仕事に出かける姿を子どもたちが見ることだ、と言われることがある。(p340)

カレツキの見解では(ただし、ケインズからミンスキーに至るまで、他の多くの思想家の意見も同様である)、資本主義経済における完全雇用の維持から生じる社会的・政治的緊張を解決する鍵は、投資に対する国家の一定の支配(ケインズが「ある程度包括的な投資の社会化」と呼んだもの)にある。(p341)

民営化や国家産業政策の放棄は、政府が投資、需要、生産の水準および構成を決定する能力の自主制約を意味していたことである。これが、世界の直面している大規模な(そして相互に関連する)社会的・経済的・政治的危機、生態系の危機の根本的原因の一つとして考えられる。なぜなら、それは、何をどのように生産し、消費するかといった地球上の生物の暮らしの未来に関する極めて重要な決定を、基本的に民間部門や金融市場に委ねることを意味するからである。民間部門や金融市場は、価格を効率的に決定し、経済のさまざまな部門に資源を配分する能力がないことが繰り返し証明されており、社会や環境によって有害な(しかし、非常に収益性の高い)産業や慣行が癌細胞のごとく成長するのを助長してきた。民間市場は本質的に、社会福祉や環境保全よりも私的利益を優先するものである。(中略)
二十一世紀の進歩的な政策課題には、経済の主要部門の広範な再国営化と、新しい、アップデートされた計画の考え方が必ず含まれていなければならない。国有化の主張は、いわゆる自然独占を特徴とする部門で特に強い。(p346~p348)

今日の文脈における再国営化は、環境的に持続可能で、知識集約型で、高技能・高賃金の新しい経済活動を促進するため、そしてより一般的には、現在の生産と消費のシステムのより広範な社会生態学的転換を促進するために、国家を利用することを意味する。具体的には、以下のような活動が対象となり得る。すなわち、(ⅰ)環境保護、持続可能な輸送、省エネルギー、再生可能なエネルギー源、(ⅱ)知識の創造と普及、ICTの活用、ウェブ上の活動、(ⅲ)健康、福祉、介護の活動、その他もろもろである。(p350)

銀行はすでに、多くの点で名実ともに公共機関である。というのも、銀行預金が政府によって正式に保証されているだけでなく、最近の金融危機ではっきりと示されたとおり、金融機関は、破綻に直面した場合ほぼ無制限に公的資金を利用できるためである。(中略)それゆえ、金融の本来的な公共性と、銀行の民間所有に内在する利潤動機の間の根本的な矛盾(これが世界金融危機とその非常に破壊的な余波を引き起こし、継続的な利潤の私物化と損失の社会化をもたらした)に正面から取り組む必要がある。(中略)この矛盾を構造的に解決する唯一の方法が、銀行部門の国営化(社会化)である。(p354~p355)

経営視点の観点から、銀行が果たすべき唯一の有益な機能は、決済システムへの参加と、信用力のある顧客への貸し出しである。言い換えれば、銀行は本来の目的である、企業や家庭への資金配分および経済成長の支援に立ち返るべきである。(p355)

銀行国営化の主張は、政府のマクロ経済政策の基本的な責務は、(社会的、経済的、環境的に)接続可能な方法で実質国民生産を最大化することだという事実認識に基づいている。そのためには、金融安定性が必要である。(p357)

優れた進歩的な選択肢は、非生産的な金融フローの全面禁止である。各国政府は、国際的な制度的構造のより一般的な改革の一環として、実物材やサービスの貿易を促進することが証明できな金融取引をすべて違法とすることに合意すべきである(中略)
投機熱の最も忌まわしい側面の一つは、大手投機銀行が金融市場が食料価格を賭けの対象にして巨利を得ていることである。これにより、食料価格が上昇し、食料不足が生じ、何百万人もの人々が飢え、よりひどい貧困に直面している。このような取引を認める理由などない。(p361)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?