見出し画像

【備忘録】ウィリアム・ミッチェル/トマス・ファシ『ポスト新自由主義と「国家」の再生:左派が主権を取り戻すとき』(その1)

約1年ぶりの更新です。今回は備忘録として、2023年6月に発売されたウィリアム・ミッチェル/トマス・ファシ『ポスト新自由主義と「国家」の再生:左派が主権を取り戻すとき』で私が重要だと感じた箇所を2回にわたり紹介します。

なお、本書は他にも重要な箇所はたくさんありますが、理論的な説明については、あまり引用していません。また、断片的な引用ですので、詳細の内容は、ぜひ本書を読んで確認してみて下さい。

その1は、本書の「Ⅰ 大転換の再来-ケインズ主義から新自由主義、そしてさらにその先へ」からの引用です。このパートはポスト新自由主義に関する内容で、私は新自由主義に関して詳しくないのでミッチェルとファシの主張が妥当なのかどうかの判断はつかないのですが、概ね説得力のある内容のように思えました。

左派は、マクロ経済学の観点から、通貨を発行する政府が資金不足に陥ることは決してあり得ず、仕事を望むすべての人に対して、十分質の高い仕事をを常に提供できるということをよく理解しなければならない。国家は、民営化やアウトソーシングの流れを反転させて、営利目的の民間市場がすべての人々の幸福を増進させる解決策を提供するという考え方から脱却しなければならない。(p10)

新自由主義は国家の退場ではなく、むしろ経済政策の主導権を「資本に、そして主に金融関係者の手中に」収めることを目的とした国家の再構築を引き起こしたのである。
いずれにしても、新自由主義化のプロセスは、政府、とりわけ社会民主主義政府が、それを推進するための様々な手段を用いなければ、実行不可能だったことは自明である。様々な手段とは、財・資本市場の自由化、資源・社会サービスの民営化、商取引とりわけ金融市場の規制緩和、労働者の権利(なによりまず、団体交渉権)の縮減、そしてより一般的には、労働運動の抑圧、中産階級や労働者階級を犠牲にした資産や資本に対する税の軽減、社会プログラムの大幅削減などである。(p23)

国家が自らの消費や所得の移転・再分配を通じて総需要を管理することで、企業は大規模かつ高額なR&D(研究開発)やその後の複雑な大量生産に伴う多額の設備投資を行うのに十分な確信を持てるようになったのである。(中略)
国家は、現代の経済にとって極めて重要なインフラである通信・輸送ネットワークを構築し、公教育への投資により企業にますます熟練した労働力を供給し、そしてより一般的には、(アメリカの派遣によるグローバルな傘、投機的金融の抑制、為替レートの安定化、エネルギーの安定供給などを通じた)システムが円滑に機能するために必要な国内および国際的な調整の枠組みを構築した。(p41~p42)

ヨーロッパ独自のショック・ドクトリンは、相互に強化し合ういくつかの要素の組み合わせであると要約することができる。第一の要素は、もちろん、ヨーロッパの大多数の国(とりわけ、周辺国)に、かつてないほど厳しい財政緊縮策を課したことである。これは、多くの論者が主張しているように、ヨーロッパ各国の政府財政をより持続可能なものにすることではなく、単にその債務返済能力を回復させること、すなわち社会的、経済的な犠牲をどれだけ払おうとも(知ってのとおり、それは莫大なものであった)、債権者や国債保有者が確実に返済を受けられるようにすることを目的としたものであった。(p154)

緊縮政策は、富裕層が高齢者、貧困層、中産階級に対して仕掛けている一方的な階級闘争の一部である。(p157)

アメリカの住宅ローン債務は、二〇〇〇年以降の消費増大の主な財源になった。ヌリエル・ルービニが言うところの「借入の民主化」が、二〇〇八年に破裂した持続不可能な資産バブルおよび信用バブルを煽るのに手を貸したのである。
言い換えれば、主に、企業が給料によって供給していなかった購買力を銀行が債務を通じてばらまいていたために、経済は何年もの間成長を続けていたのである。(中略)要するに、賃金デフレおよび家計や金融企業のレバレッジの拡大が、「実体経済の成長が中毒性のある金融によってドーピングされるねじ曲がったメカニズムを、補完する要素であった」。(p180~p181)

カレツキが予想していたとおり、完全雇用は支配階級にとって単なる経済的な脅威にとどまらず、政治的な脅威にもなり、一九七〇年代から八十年代にかけてエリート層の頭痛の種となったのである。(p195)

政府が進んで「自らの手を縛る」ことを選択した理由は、あまりにも明白である。ヨーロッパの事例が典型的に示しているように、政治家は、自国に課されている「外的制約」を作り出して、制度化されたルールや「独立した」国際機関に「責任転嫁」することで、明らかに不人気な政策を伴う新自由主義的な転換の政治的コストを減らすことができたのだ。(p196~p197)

労働組合や社会民主主義政党といった、労働者を資本から守るために発展してきた制度は、このような階級闘争以外の焦点と比べて軽視されるようになった。人種差別や外国人嫌悪などの問題はもちろん重要である。しかしながら、労働者階級を分裂させ制圧するために、そして資本主義の根幹にある階級間の対立関係から注意をそらすためにこれらを利用してきた体制側の手法を、われわれは認識しなければならない。(p208)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?