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仏教に学ぶ生き方、考え方「デジカメ、スマホ、菩薩、如来」

「デジカメ、スマホ、菩薩、如来」

 ちょっと前にカメラがフィルムからデジタルカメラに代わったときに、デジタルカメラのことを「デジカメ」というようになりました。それが一般にも浸透し、みんながデジカメと言うようになり、それがいつしか正式な名前となりました。この話をすると、「ちょっと前じゃなくて、だいぶ前でしょ?」とからかわれてしまいます。「チョベリバ〜」と言われないように頑張ります。
 さて、話を戻して、、、、。他にもスマートフォンのことを「スマホ」、終わったコンテンツのことを「オワコン」など短縮された言葉を日常的に使うことはままあります。

 実は仏教でも短縮したりより馴染み深くしたりすることが多く見られます。例えば阿弥陀如来様の「如来」も実は短くされた言葉なのです。本来は真如来現(しんにょらいげん)という言葉で真実の姿が現れ来たもの、つまり悟りを開かれた方という意味になります。その真中の2文字をとって「如來」といわれるようになったんですね。

 「観音様」と親しみを込めて言われる観世音菩薩の「菩薩」も実は省略された言葉なんです。正式には菩提薩埵(ぼだいさった)といって「悟りを開くために仏の教えを求め修行されている方」という意味になります。つまり観音様はまだ修行途中の方なんですね。

 このような短縮形はお経でも見られます。有名なのはみなさんもご存知、般若心経ですよね。大般若経という膨大なお経のエッセンスをなんと二百六十ニ文字(あるいは二百六十文字)に凝縮したお経で、短さとわかりやすさで広く親しまれています。

 お経ではありませんが、「文類さん」と親しまれている念仏正信偈も、親鸞聖人が他力念仏の教えを短くまとめられたものです。よく似た偈文で、朝のお勤めに読まれる正信偈も正信念仏偈という親鸞聖人の書かれた他力本願のエッセンスが書かれた偈文になります。確かに般若心経に比べると「長いなあ、、、」と思われる方もあると思いますが、この中に親鸞聖人の一生分の想いが詰まっていると思えば、よくぞここまでまとめられたものだと感じます。みんなに永く親しまれ、お念仏の教えを引き継いでもらいたいという想いがきっと詰まっていると思います。

 短縮したり、エッセンスを凝縮するということは、それだけ皆さんに親しまれ、愛されるということでもあります。これからも仏教が親しみのあるものとしてみんなの心に残っていければ嬉しいです。

☆今日の一句☆

  短さに
   凝縮された
     エッセンス


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