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仏教に学ぶ生き方、考え方「時給千円」

 先日、日本の最低賃金が上乗せされて、全国平均で「時給千円」を上回ったというニュースが流れました。

 「時給五百円」でアルバイトをした経験がある私は、時給千円と聞くと羨ましくも思います。

 でも世界的に見ればまだまだ「安い」そうです。

 オーストラリアは「時給二千三百円」、アメリカは「時給二千百円」などと聞くと、それも納得できます。

 時給というとき、それは「一時間の労働の対価」としてお金が支払われるわけです。

 つまり、一時間という時間を千円で「買ってもらっている」ということになります。

 でもよく考えてみると、これは「一方通行」です。

 つまり自分の一時間を千円で売ることはできても、逆に「買うことはできない」のです。

 もしこれができるのであれば、きっと大金を注ぎ込んでも「時間を欲しがる」人はたくさんいるでしょう。

 一日で二万四千円、百日で二百四十万円。

 もし百日の「寿命」が二百四十万円で買えたら、、、と考える方も多いのではないでしょうか?

 実は時間を「無尽蔵」にあると感じる人は多いと思います。

 今日は暇だな~、今週は予定ないな~と「時間を持て余してしまっている」人も多いのではないでしょうか?

 そして若いときにたくさんあると思っていた時間が、ある時「実はそんなにない」ことを思い知らされることも多いのです。

 真宗の開祖、親鸞聖人はなんと「九歳」で得度され、仏道を志されました。

 得度のとき、比叡山の座主であられた慈鎮和尚に「今日は遅いから明日、得度式を行いましょう」と言われた親鸞聖人は桜の花を例えた歌を詠み、「その日の夜」に得度されたそうです。

 若干「九歳の少年」が時間を惜しんでまで仏教を求められたのは、人生は短く儚く、そして「時はかけがえのない」ものだと知っていたとも言えます。

 ということは時給はあくまで働く時の「目安」であり、あなたの時間は「お金では計り知れない価値」があるとも言えます。

 そして働いているときも暇を持て余しているときも、「今この時」ここにいるということの意味を、もう一度深く考えていきたいと思っております。


☆今日の一句☆

 短くも
   いのちのあるは
         プライスレス

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