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ほとけさまのおしえ「墓じまい」

 今日は昼まで「お墓」でのお勤めをしてまいりました。

 自坊は地区ごとにお墓があり、その中でもいくつかの地区が共同で管理する墓地はかなりの広さがあります。

 お参りするお墓を探して「彷徨い歩き」、眩しい日差しの中でお勤めをするので、首筋に「うっすらと」汗が滲みます。

 そんな中で三十分ほどお勤めをした後、しばらく談笑しておりました。

 その中で「娘さんたち」にお墓の守りをしてもらうのは大変だから、私たちの代で墓じまいを考えているとのこと。

 これも「時代の流れ」といえば仕方ないのでしょう。

 でもそんな時「ぜひお墓は残しておいてくださいね」と言っているもう一人の自分が隣にいるのです。

 これは私の個人的な意見ですが、我が身なき後お墓をどうするかは、「後の世代に任せてもいいのかな」と思っております。

 というのも、若いときはお墓の存在をそれほど「重く」は捉えないでしょう。

 でも齢を重ねるごとに、親や近しい人のお骨がお墓にいてくれるということは、とても大きな「心の支え」になるのではとも思っております。

 そして人生に迷ったり苦しんだり悲しんだりした時に、お墓を訪れて在りし日の「彼(か)の人」に思いを致す。

 その中から、自分の存在を「再認識」することも多いのではと思っております。

 墓じまいは言い方を変えると、後の世の人が立ち止まり、帰るべき所を「無くしてしまうことにならないか」とも思うのです。

 墓じまいを考えられている人が今一度「お墓とはどういう場所なのか」を考える機会になればありがたいと思っております。


☆今日の一句☆

 お墓より
    我が身の終い
         留めおきて


 

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