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仏教に学ぶ生き方、考え方「ある?ない?わからない?」

「ある?ない?わからない?」

 仏教に関することで、みなさんが一番知りたいことはなんだろう?と考えることがあります。自分もそうですが、「はたして死後の世界はあるのでしょうか?」ということを知りたい人は多いのではないでしょうか?

 確かにお釈迦様や親鸞聖人の時代は、六道輪廻(ろくどうりんね)が社会通念としてありましたし、死後はあるという前提で、どの世界に生まれ変われるのか?が問われていた時代であったと思います。

 でも科学技術が発達した現代では、地球は丸い球体であり、西方にどんどん進んでいけばまた元に戻ってくるわけで、西方極楽世界の考えも立証がしづらくなっています。そんな中で、「死んで肉体がなくなれば、意識や精神も消えてなくなる。」という考えも当たり前になってきていると思います。

 でもあえて言うなら「あるということを証明できない」=「ない」ということではないと思います。一昔前までは、素粒子という概念もありませんでしたし、この世界にあった物質のほとんどはビッグバンで消えてしまったと言われても、にわかには信じがたいですよね。なのでないとも言い切れないと思いますし、結局は「わからない」という結論になると思います。

 でもよく考えてみてください。皆さんがいずれかは命が終わるときが来る、というのは自明の理ですよね?人類八十億のすべての人がいわば死ぬことが決まっている状態なのに、死後の世界があるかどうかわからないなんてすごいことですよね?

 大抵の人は怖くなって、できるだけ考えないようにして、今を過ごしていると思います。確かに日常生活に追われているとそういうことを考えなくても過ごせますし、死ぬことよりも生きることを考えるので精一杯だよ、、、という人も多いと思います。

でも、仏教はあえてこの問題を一大問題にしているわけです。これを後生の一大事(ごしょうのいちだいじ)と言って親鸞聖人も生涯問い続けられました。ではなぜ生きている間にも死んだ後のことを考えるのでしょうか?今を大切にするのなら生きることを考えたほうがよいのでは?そんな声も聞こえてきそうですよね。

 それに対しての仏教の見解は、「死ぬことを考えることから生を見つめ直してみる」という事だと思います。そうすると今まで大切だと思っていたものが、実はそれほどでもなかったり、それほどでもないと思っていたものが、実は大切だったり、、、と今とは違った視点で物事を捉えられるようになるんです。これを「仏のものさし」と言う人がいますが、自分のものさしで測るだけでなく、仏のものさしでも測っていくと、より生きることが楽に、そして前向きになれると思います。

☆今日の一句☆

  終わりある
    命と思えば
       かがやくよ

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