仏教に学ぶ生き方、考え方「ゆっくり行うということ」

 今日は「お通夜式」がありました。

 最近は家族葬が増えてきて、お経を通常の速度で唱えても十分お焼香が収まるのですが、今回は「殊の外」多くの方の参列がありました。

 こういうときは香炉を増やしてくれるのですが、今日はなぜか「一基のみ」です。

 ということで瞬時に判断し、できるだけ「ゆっくり」唱えます。

 今まででこれ以上ないくらいのゆっくりな「テンポ」でもやっと焼香が間に合うほどでした。

 そして、お経をゆっくり読むほど「難しいものはない」のです。

 微妙な「間の取り方」が必要になり、声と拍子木がズレたり、「呂律」が回らなかったりするのです。

 なんとか調子を合わせて唱えていました。

 そしてその後、「プール」に向かいます。

 今日はクロールをなるべく「ゆっくり」と泳ぐことを意識しました。

 やはり、ゆっくりだと手足の動きのタイミングが取りにくくなります。

 それをなんとか合わせるのは、逆に頭を使い、身体の動きを否応なく「意識」させられます。

 ということで物事は急いで速くすることはできても、ゆっくりだと逆に「難しかったりする」ものです。

 たまにはゆっくりと動いてみて、自分の動きを「意識する」ものいいものだなと感じています。


☆今日の一句☆

 ゆっくりと
    動けば粗が
        見えてくる

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