仏教に学ぶ生き方、考え方「さもありなん」
人は物事を始めると、なかなか「やめられない」ものです。
始めた仕事も軌道に乗っているうちはいいのですが、経営が傾いても「すぐには」やめられません。
私もプールやnoteを始めるときに、いつかは止めるときが来るなどと言うことは「考えもしません。」
そのように、人は始めたことはなかなかやめられないのです。
これが人のためになるようなことならまだしも、実は「戦争や喧嘩」も始めてしまうとなかなかやめられないのです。
日本も太平洋戦争で何度も止めようとしましたが、結局は止めることができずに「大きな犠牲」を払うことになったのです。
止めるということについて親鸞聖人の逸話が残っています。
親鸞聖人が佐貫の国を訪れたとき、水害で大きな犠牲を出した方への供養のためにと懇願されて、浄土三部経を「千回通読」しようとされました。
比叡山の修行で読経は得意だった親鸞聖人は引き受けて読み始めますが、三日目にひとこと、「さもありなん」と言ってやめてしまいます。
絶対他力を信じるものが阿弥陀如来様の「慈悲と智慧」のお働きで救われていく身でありながら、読経によって供養しようという「自力の心」があったことに気づかれて、やめてしまったのです。
この話から、自分の心を見つめて違うなと思ったときは、「やめる勇気」も大切なのだと思っています。
そしてそのことに「こだわらない」姿勢が「さもありなん」(あぁそうだったんだ)には込められていると思っております。
☆今日の一句☆
おかしいと
思わば止める
勇気持つ
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?