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ほとけさまのおしえ「辛いときにふと思うこと」

 人生には辛い事がたびたび起こり、大きな苦しみや悲しみを味わうものです。

 そして私たち僧侶はその苦しみを「取り除くこと」で楽や楽しみを味わってもらうように心がけております。

 しかし、それはあくまで頭の中で考え、口の先から発せられる言葉にしかなりません。

 例えば家族関係で苦しい気持ちを抱えているときに、「そうですか、それはお辛いことです。また話を聞かせていただきますので、いつでもお越しください」としか言うことができません。

 また、「それはご先祖様の祟です。今すぐにこの壺をお買い求めください」などと言おうものなら宗派から破門になってしまいます。

 つまりはその方の苦しみの「根本的な解決」を、僧侶が自ら行うことには限界があるのです。

 中にはそれを指摘して「結局お坊さんは何もしてくれないんですね〜」と陰口をたかれたりします。

 ではもういっそのこと辞めてしまってもいいのでしょうか?

 私の答えは「否」です。

 といっても凡夫の身である以上、「限界」はあります。

 また家庭の問題に土足で踏み入ることもできません。

 でもそうであったとしても、その方のことを気にかけ、「優しい言葉と温かい眼差し」を送りたいのです。

 そして阿弥陀如来様が必ず気にかけていてくださり、ちゃんと「すくい取ってくださる」ことをお伝えしたいと思っております。

 例えなんと言われようと、そういうことをただひたすら続けていく。

 そしてそんな様子を感じていただき、何かのときにふと「そうだ、お寺に行ってみよう」と足を向けてくれたら嬉しいのです。


☆今日の一句☆

 辛くとも
    そうだお寺が
         あるじゃない

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