仏教に学ぶ生き方、考え方「盛者必衰」と「諸行無常」の微妙なニュアンスの違いは何か?
歴史を振り返って、「盛者必衰」「栄枯盛衰」などと言ったりします。
一方で仏教の教えでは「諸行無常」と言います。
これらは一見すると「同じ意味」に捉えられます。
でもあえて言うなら、両者には「微妙なニュアンスの違い」があると思っています。
違いがあるということは、違いにこだわる「考え方」もあるはずです。
まず、歴史で言われる「盛者必衰」は「権力を握って世の中を治め、意のままになったとしても、いずれは、その勢いは衰えていきますよ~」という意味ですよね?
つまり、「成功して権力や財を得た者」が対象であるわけです。
いくら成功していくら財をなそうが、いずれはそれらは消えていくものなのですという気持ちが込められていると思います。
これだけ聞くと、「あ〜、頑張っても所詮無駄だな~」「あんまり大きな目標を建てないようにしよう」と思うでしょう。
少なくても今までの歴史はそのことを証明しているわけですし、力を持っている人やがこの先ずっとそうしていられるほうが考えにくいです。
なので、力や財を持っている人はどうしても「我が身の保身」を考えるようになります。
守りに入った人は「勢い」を失い、後はズルズルと人や財が離れていき、やがては衰えていくという流れになるのではないでしょうか。
でも仏教の「諸行無常」には「盛者必衰」の意味も含まれますが、もう一つの意味も含んでいることに気づいていますか?
それは「衰え滅びた財や命」を悲しんだり悔やんで苦しんだりする、その「悲しみや苦しみ」も実は「長くは続かない」のです。
つまり、「栄える」ことも長く続かないのと同じように、「悲しみ」「苦しみ」も長くは続かない、このことを示す言葉が「諸行無常」となるわけです。
このように考えると「諸行無常」はむしろ今悲しみ苦しみ絶望する人々に、希望を与えてくれる教えになるのではないでしょうか?
「今は悲しいけど、一年後、二年後、その悲しみはどうなるのか、しっかりと観てくださいね」「かつて絶望していた自分に、あのときよく耐え忍んだね、素晴らしいと言ってあげてくださいね」と導いてくれている言葉ではないかと感じています。
☆今日の一句☆
移りゆく
痛み苦しみ
悲しみも
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