仏教に学ぶ生き方、考え方「あおり運転と仏教」
「あおり運転と仏教」
最近テレビを見ていると、いわゆる「あおり運転」なるニュースが結構見かけられます。最近はドライレコーダーで一部始終が録画されるので、ニュースのネタにもなりやすくなっているんでしょうね。でも厳罰化されたとはいえ減る気配がないところをみると、罰では根本的な解決にはなっていないのですね。
ではあおり運転や運転のときの心理状態を仏教的な考えで見てみるとどうなのでしょう?またあおり運転を減らしていくためにはどのような心がけが必要になってくるのでしょう?
まずあおり運転の前提として、行き先は違うにしろ、たまたま同じ時間に同じ方向に向かって走っている事が必要です。これを仏教では「ご縁」といってたまたまにしろ同じ目的が共有されているわけです。
ところが「もっと早く行きたい」という煩悩が働くとそれを阻害している前の車が途端に邪魔な存在に見えてきます。前の車がブレーキのタイミングが違う、車間距離を開けすぎている、スピードを出さないで安全運転をしているといった認識の違いも怒りの原因になります。怒りに乗っ取られた心はコロコロと簡単に怒りモードに変わり、相手をあおりという武器で攻撃してしまいます。その時は自分が正当な理由があるので悪いという感情は起きていませんよね?それがこの行動の厄介なところです。元々はご縁をいただいた前後の車をこのように思ってしまうのはなぜでしょう?またご縁を悪いものにせず、よいご縁に変えていく考え方はあるのでしょうか?
実は仏教には善因善果、悪因悪果という考え方があります。つまりよい結果も悪い結果も自分から招いてそうしているという考えです。ただそれだけでは直接的に結果が出るわけではありません。そこには縁というものが働いて初めて結果に結びつくのです。悪い原因が悪い縁と結びつくと悪い結果になり、よい原因がよい縁と結びつくとよい結果が引き起こされます。これを因縁果(いんねんか)と言います。なので、いい原因を作っていい縁に結びつければいい結果になります。これはとても科学的な教えですよね。
では悪い縁を遠ざけよい縁を招くにはどうすればいいのでしょうか?そのために仏教では以下の6つの行いを心がけなさいと教えられています。
①布施(親切にする)
②持戒(ルールや約束を守る)
③忍辱(忍耐する)
④精進(努力する)
⑤禅定(心を静める)
⑥智慧(深く考える)
大切なのはこれらをすべてする必要はありません。それらの行いの得意なところ、やれるかなと思うところだけでも十分効果があるのです。例えば自分は怒りっぽいけどちゃんと約束は守る人間だと思う人は、「自戒」だけを心がけるようにしてもいいのです。あおり運転で言うと前の車が遅くて頭に来ても、交通ルールを守るという自戒ができればあおることはできないはずです。
とはいえ頭でわかっていても守れないのが私たち凡夫(普通の人々)ですよね。守るのではなく心がける気持ちと、得意なところから少しずつ取り組むという心の姿勢があれば、少しずつ減らしていけそうですよね。
☆今日の一句☆
ご縁です
アクセル緩め
布施しよう
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