ほとけさまのおしえ「サクラサク」
自坊の前には「小さな川」が流れております。
その土手沿いには「何本かの桜並木」があり、それが今朝ようやく「満開の花」を付けました。
額や蕾の桜がほぼ見えなくなり、文字通り「すべて」の花が咲いております。
そしてそれを一人眺めておる私は「今このとき、ここにいる幸せ」を噛みしめております。
あと一週間もすれば可憐な花びらも「桜吹雪」となり散ってしまうのでしょう。
その「儚さ」ゆえ、今がより輝いて見えるものです。
でも花が散れば、桜はそれですべて終わりなのでしょうか?
きっとそんなことはないはずです。
むしろ桜の木にとってみれば、花を咲かせることは「起床のときの背伸びや欠伸(あくび)」のようなものでしょう。
そしてこれから夏にかけて、本格的に葉を伸ばし実を付けて、沢山の栄養を作り蓄えるわけです。
つまりは人々が「桜の季節は終わった」と感じたときから、本当の桜の季節が「始まる」のです。
実はこのことは我々「人間にも言えるのではないか?」と思い始めております。
人の命は儚く短いものですが、その生き方や考え方は、言葉となり語り伝えられ、多くの人々の背中を押してくれる。
そして「お釈迦様の教え」はこれまで二千六百年もの間、様々な人の心に花を咲かせてきているのではないかと思うのです。
また親鸞聖人は、その花の中からより鮮やかに咲く花を見つけ、それを世に知らしめてくださったのではないかと。
花は散れども桜は葉を生い茂り続けるように、人の命も「様々な人の心の中」で生き続ける。
そんな生き方、考え方で毎日を過ごせば、今このときも「より輝いてくるのでは?」と思っております。
☆今日の一句☆
散りゆくも
終わりは始まり
続きゆく
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