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仏教に学ぶ生き方、考え方「会えるときに会うということ」

 今日は夕方近くまで法要を勤め、その後、「高速道路」を飛ばして隣の愛知まで来ております。

 お世話になった親戚のおじさんが亡くなられ、その「お通夜式」に参列するためです。

 私の父は兄弟が多かったので、小さいとき法事があると兄弟とその連れあいが一同に会し、それは「にぎやか」に話したり食べたりしたものです。

 もちろんお酒も入るので、そのまま泊まっていくなんてこともあり、子ども心に従兄弟と「夜通し」遊べるのは楽しかったことを思い出します。

 そんな「在りし日」のおじさんのことを思い浮かべながら通夜式に参列していました。

 そして従兄弟とも「十何年ぶり」に再会し、顔を見ながら積もる話をしてまいりました。

 実家は愛知ですが、仕事の関係で今は東北に住んでいるので、なかなか会えなかったのです。

 実家のおじさんのところには三月に一度挨拶に伺っているのですが、その時にはすでに入院されており、そのまま今回のお葬儀となって「今生」では会えずじまいでした。

 もう少し「早く」会いに行っていればという気持ちが頭をよぎります。

 そして「会いたいな」「会おうかな」と思ったら、その時には「行動」したほうがいいんだと想いを新たにしております。

 コロナ禍からようやく抜け出した感のある昨今です。

 まだまだ気をつけるところはつけながら、会えるときには少々遠くても会いに行って顔を見て話すことは、やはり「いいもの」だなと感じております。


☆今日の一句☆

 会いたいと
     思ったときに
          会いに行こう

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