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仏教に学ぶ生き方、考え方「勝敗」

「勝敗」

 サッカーワールドカップで日本がベスト8をかけた一戦で善戦したもののPK戦で負けてしまいました。夜に弱い私はいつも朝のニュースで結果を見るのですが、夜遅くまで応援された方も多かったのではないでしょうか?

 試合は負けてしまったものの、キラリと光る印象的なシーンもありましたよね?皆さんの心にもそのシーンはいつまでも残っていることと思います。

 私が個人的に印象に残っているシーンは二つあります。一つはもうおなじみになりましたが、日本人サポーターの試合後の清掃活動です。自分たちが楽しんだ後に、ちゃんときれいにする。これは観ていても気持ちがいいものです。これを「清掃員の仕事を奪うのではないか?」と言われる方もあるそうですが、逆に清掃というあまり見向きをされないような事にも気持ちを向ける、まさに「布施」の心があるのではないでしょうか?

 もう一つのシーンは、ベスト8をかけたクロアチア戦で負けた直後にクロアチアの選手が日本選手の善戦を称えて、肩を叩きハグをしていたシーンです。こういう姿は、サッカーを愛するもの同士の、勝敗を超えたつながりを感じますよね。もしかしたらクロアチアの選手は、自分たちがサッカーをできるのは、日本の選手がいてくれるおかげだと思っているのかもしれません。もしそうだとしたら、まさしくこの試合を一緒にできたという「ご縁」に感謝をされているのですね。

 でも上の二つは、どちらも試合とは関係のないシーンですよね。みんながあまり見ないところに興味があるのは、やはりちょっと感覚がズレているのかもしれません。でもそんなことはお構いなく、仏教的に見て素晴らしいなと感じております。

 よくよく考えてみると、優勝をする一カ国を除いて、すべてのチームが一度は負ける経験をするわけです。そして勝った数だけ、負けた数もあるわけです。まさに「勝敗一如」(しょうはいいちにょ)と言えるのではないでしょうか。勝った負けたは、紙の表と裏のようにいつも隣り合わせで存在するのです。なかなか勝敗を受け入れることができない気持ちもありますが、むしろ今こうやってサッカーを楽しめるすべてのことに想いをいたしながら、感謝を申し上げたいものです。


☆今日の一句☆

  ありがとう
    勝った負けたは
       置いていこう

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