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仏教に学ぶ生き方、考え方「誰かが見てくれているということ」

 世の中は連休の真っ只中ですが、私の生活はあいも変わらず、「手洗い洗濯」と「プール通い」の毎日です。

 ですが、プールにはいつもお見えになっていない方も多く訪れるので、そんなところで連休を「実感」するのです。

 そして「ノーブレス」で二十五メートルのクロールを泳いでいると、同じレーンで泳いている人から声をかけられました。

 「さっきから見てましたけど、息継ぎはされてるんですか?」

 「いえいえ、息継ぎなしで泳ぐ練習をしております。」

 「そんなことができるんですか?初めて見ました。」と驚かれました。

 ちょっとずつ距離を伸ばしていき、今はできるようになったことをお話し、そこから顔を合わせるたびに「声をかけあう」ようになりました。

 自分一人で泳いでいるようでも、「どこかで誰かが」見ていてくださるのだなとあらためて感じました。

 そして、きっと阿弥陀如来様や親鸞聖人もどこかで必ず見ていただいているという安心感が湧いてきておりました。


☆今日の一句☆

♪だぁれもいないと思っていても
 どこかに何処かにエンジェルが〜♪


※この歌詞がわかる人はそういないかもしれません。

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