怒りたい日々

私は怒らない。
会社では「いつも優しい」人で、「怒ったことがない」人だ。
でも、本当は私はいつも怒りで胸がいっぱいなんだ。
「いつも優しい」私は時に、何をしても怒らないと他人に勘違いをさせてしまう。
でも、本当は違うので、私は相手にされたことをずっと覚えていて、ずっと恨む。
1度本当の意味で私を怒らせたら、私の胸のうちでは、もうその人は心を許せる相手にはならない。表には出さないけれど。
厄介な人間だと思う。天邪鬼は、私そのものだ。

子どもの頃の「誰にも嫌われたくない」というトラウマみたいな感情が、私を天邪鬼にしている気がする。
小学1年生の頃に、幼稚園の頃からの付き合いで親友だと思っていたKちゃんと何でも一緒が良かった私は、クラスの班決めや係もKちゃんと一緒が良かったのだけど、ある日「何でも真似してこないで」と言われたことがあって、切なくて悲しかった。
そして、その時Kちゃんも泣いていた。
Kちゃんは2年生の頃に転校してしまうのだけど、私はずっと仲直りもできず、「真似しちゃってごめんね。嫌がってると思ってなかったの。Kちゃんが好きだから同じが良かったの。」とも言えず、離れ離れになった。
子どもの頃の女の子同士の友情って時に恋愛みたいに、愛憎渦巻いていたように感じる。
今となっては、Kちゃんの気持ちも分かるし、でもあの頃一体どんな風にして、Kちゃんが好きな私を慰めれば良かったのだろう。

小学3年生の頃は給食のないお弁当の日に5人グループでお昼ご飯を食べた時、「あなたには苺あげない」と言われて仲間外れにされてから、いじめの対象になっていた。
その頃から何をしても怒らないと思われていたんだ、多分。
でも、私はKちゃんの時のように悲しくはなかった。その子がそんなに好きではなかったし、どうでも良い子だったから。
でも、怒れない自分が情けなくて泣いていた。

そんな風にして、どうでもいい人が私を傷つけようとしたり、鬱憤を晴らしたりするために少し意地悪をしてくることには慣れたはずなのに、「嫌われたくない」という感情が、どういうわけかずっと残っていて今も私を苦しめている。
どうでもいい人は、あの頃の私にとってのKちゃんではないのに。

でも、そんな私でも怒れる人がいる。
血の繋がる家族以外なら、唯一旦那だけ。
旦那にならちょっとしたことにでも怒れる。
それは、私が怒ったとしても、彼は私を嫌いにはならないから。そういう確信を与えてくれる人だ。

でも旦那以外にもちゃんと怒れるようになりたいと思っている。
不快なことは不快だと、
傷ついたら傷ついたと、
ちゃんと主張出来るようになりたい。

アンガーマネジメントの前に、まずちゃんと怒れるようになろう。
その手前カフェで熱いコーヒーを啜る自分がいる。怒りを沈めようとして。

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