【エッセイ】愛犬モノローグ

この記事は、先日亡くなった愛犬の個人的な独白記録。
家に来てから去るまでの話です。
基本的に文章5000文字前後で、画像は1枚のみです。

まえおき(略歴)

今回の愛犬(主役)以前に家にきた動物の略歴について
わが家の背景として先に書いておく。
具体的な年月はわからなかったり、本編に直接関係のないものや
私の時代主観で大体の内容で書いてるのはご了承願いたい。

小学~高校時代

リュウ:野良だった雑種のオス犬。最初の飼い犬。
    母が情けでコロッケを与え、家の前から離れなくなり飼うことに。
    外飼いで、夕方の鐘が鳴ると遠吠えをした。13才前後で逝去。
謎の幼鳥:親父が山から拾ってきた、落ちていたヒナ鳥。
     数か月間は生きていたが次第に弱って逝去。
サンショウウオ:親父が拾ってきたが種類はよく分からない。
 素人が飼育できるはずもなく、近場の水場に逃がした(ぉぃ)。
シマリス:妹がせがんで飼った気がする。全然懐かない。
ハムスター:妹がせがんで飼った気がする、ジャンガリアン。
ウサギ:妹がせがんで飼った黒色と茶色の2匹。
    黒い方はわりと長命だった。

大学~社会人時代

ラク:ポメラニアンのオス犬。
   体が弱く、ユズの後を追うように数才で逝去。
ユズ:ポメラニアンのメス犬。
   ケガ治療時の麻酔のせいか数才で突然の逝去。

時代不明

魚類:親父が気まぐれに買ったりする金魚やら熱帯魚やら
   気づいたら飼っていて、また気づいたらいなくなる。
サワガニ:親父が冬場に食料として調達してくる。

要点

金に余裕がある家でもないわりに
そこそこ生き物に触れてきた経歴。
ただ、基本的に世話をするのは母親で
私は多少なりそのフォローをしたりしなかったり。
妹や親父はほぼ動物を持ち込むだけ。

盲目の祖母を介護しながらペットの世話をしつつ
パートにも出かけ、家族の面倒も見ていた。
母には正直いって頭があがらない。

愛犬の話

犬が飼いたい

私が社会人として真っ当に働いていた頃になる。
ある日、あまり欲しいものを言わない母親が
「犬が飼いたい」と相談してきたのである。
小型犬であるポメラニアン2匹が亡くなって
しばらく経った後の時期であり、それに加えて
介護していた祖母が亡くなった部屋が1つ空いていた。

母の要望は、室内犬として飼えるもので
小型すぎないもの(虚弱な犬種は我が家に合わない)であったと思う。
そこに妹の邪悪な横知恵が加わり
『シェットランドシープドッグ』(愛称はシェルティ)という
舌を少し噛みそうな西洋犬が注文されていた。
母の珍しい要求と日頃の感謝などもあり、
私は誕生日祝いなどの名目と合わせて半額を出しつつ
世話を手伝う約束をしたのだった。

犬が来た

来た時の感動は……私の記憶には残っていない。
夜勤前か後で寝て起きたらそこにいた感じだったのかもしれない。

とにかく、我が家に来たメス犬はラムと名付けられた。
命名者は妹。
牧羊犬であるからという由来が1つ目
昔のアニメのヒロインという由来が2つ目。
まあ後者については後付けもいいところだが
他人に名前の説明する際は、話題に出しやすかった。

邪悪な妹の出番はここまで。要するにいつもの。
自分は世話をせず、買ってそこにペットがいれば満足する奴なのである。
まあその後、家を出て猫を一人で飼えるぐらいには成長したようだが。

まあともあれ、私がその時に何かした記憶は
ケージ(犬小屋)の設営ぐらいですね。

その後、メインの世話は母親スタンスで
母親が疲れているときや旅行に出ているときは
私が世話をする(そういう盟約もあった)
私も世話できないときは親父に頼む感じでした。

犬の容姿

7才頃

犬の容姿は、小さめのコリー犬と言えば分かりやすいだろうか。
エサ量を制限してたので、成犬時で通常より小さめのサイズになった。
背中側は黒毛ベース。腹側は白毛。少し茶が混じっている。
背中側の首筋にはナナメがかった白い線が入っている。
毛はそこそこ長いが過度に手入れせずともキレイな子でした。

母親がペット美容院に連れていくと
「あら、キレイですねーいつも手入れされてるんですか?」と言われて
「いえ、特に何もしてないですが」と返して無言にさせるのが
謎の常套句になっていた程度には、手間がかからなかったようだ。

まあ最低限というか、1~2か月に1回のペースで風呂場で洗って
ベランダや玄関前で乾かしていましたね。

犬の世話

牧羊犬の血筋ということもあり、それなりに運動が必要で
朝、夕方、夜と3回の散歩をした。エサは1日2回。
基本的には母が全て行い、フォローとして私がやることもあったが
風呂場でシャンプーで洗ったり肛門絞りするのは母だけ。
まあメスだしその辺は私がやらないに越したことはない……かもしれない。

犬、遊ぶ

犬が好きだったのが、走ること、ボールを追いかけること。
あと木の枝をくわえること、タバコの吸い殻を食うこと……。
タバコはいくら躾してもダメだった。これでより喫煙者が嫌いになった。
落ち葉や花びらが足毛にからまるので街道掃除をたまにするようになった。

走ることは、犬の習性とでもいうのか。
私が走ればより早く前に走っていき、吠えつつ足止めしてくる。
さすが牧羊犬の血筋といったところか(でも急に前に来ないで)。

ボールを追いかけることは、最初はテニスボールを
室内で転がすくらいの感じだったが。
フットサルボールにも反応するので、それでたまに遊んだものだ。

木の枝をくわえること。これはよく分からないのだが
たまに道端で小枝を見つけてくわえさせると
そのまま散歩したりしてご機嫌なように見えた。
執着はそこまで無いようで、落としたらまたくわえようとするものの
リードを軽く引っ張れば小枝とはオサラバする感じだった。
ただ後々、枝を食べようとするようになり、させなくなった。

あと、幼いころは自分の腹を見せたり
顔や手をなめることもありましたが
年を取るにつれてそういう行動も減っていきました。

病後、歩けるときにやってたのが
リード紐を背中に乗っけて少し離れ、呼びかけて歩かせること。
そしたら「撫でてくれ」と言わんばかりに身体を近づけて横向くので
満足するまでがっつり撫でて時間をつぶしてました。
長時間の散歩はできず、家の前で立ち止まる(入りたがらない)こと
が多くなったのでやってた遊びですね。

ちなみに母が犬と遊ぶことはほぼなかったので
遊ぶことはもっぱら私専門の世話でした。

犬、嫌いなもの

バイクや掃除機の音がキライなようで、よく吠えてました。
右前足だけ過敏なのか、足を洗うときに触ると
「早く離せヨ」という感じに嫌がりました。
病院では大人しいらしいが、病院方向へ移動する気配を感じると
足が止まります(でも大概諦めて歩き出します)。
あと雨は濡れるから好きじゃない。
基本的には大人しく、それなりに賢い。
そして自分の芯を曲げない部分もあったように思います。

犬、危機

晩年までは特に病気もなく健康だった。
股間が若干荒れることはあったが
ゲリになることもなく健康的。
食欲旺盛、水もしっかり飲む。
やはり小型犬とは頑丈さが違う気がした。
しかし元気すぎて危険を呼ぶ。

犬あるあるなのかもしれないが
何度かこの犬は脱走(あるいは暴走)している。
近くの街道は車が四六時中走っていて
私と母と父は、肝を冷やす事態に何度か遭遇している。

私が遭遇したのは2回

1つ目は日中、スルリと飼い主の脇を抜けてって
車が走っている街道に飛び出した。
明るかったので、車も止まってくれたので助かった。
犬は追いかけるほど逃げてくので捕まえるのに苦労した。

2つ目は夜中の散歩中、リードを付け損ねていて外れてしまった。
後にも先にも、内臓が締め付けられる思いをしたのはこの時だけだ。
バイクに向かっていく癖がありその時、運悪く街道のバイクへ
飛びついてしまった。バイクが止まってくれ、その兄ちゃんに叱られるも
「バイク追っかけてっちゃうので、そこのモデルルームの駐車場(閉店済)でちょっと走って協力してくれないか。」とお願いをした。
しかし協力もむなしく、私がどんくさいのもあり捕まえられず。
20分~30分経過したころだろうか。
捕まえられそうになかったので、バイクの兄ちゃんには
「すみません、あとは自分で何とかします。」と言って帰した。

その後、どうしたかというと……捕まえずにそのまま帰ったという。
犬も遊んで満足したのか落ち着きを取り戻し
リードなしのまま私の横を歩いてついてきてくれたので
そのまま帰宅の途についたのでした。

犬、吠える

犬もだいぶ遊びに反応しなくなったりして
年相応に落ち着いた……と思っていた頃。
夜中早朝に吠えることが多くなった。

起因は、親父の早朝外出だと思う。
親父は毎週の休日、山菜取りや魚釣り、朝市へ行くのに
午前4時5時に起きて活動する。(ほぼ毎週だよ、毎週。)
家の中を動き回るので活動時間だと犬が勘違いしてた気がする。
しかも、犬は「吠えればエサがもらえる!」と覚えてしまい
親父が適当にあげるエサに、まだ眠たい母親と私は困惑していた。
(言って聞くような親父ではないのでどうしようもない)

そのうち休日以外も吠えるようになったので
対策として母親が犬と添い寝することになった。
(添い寝とは言ってるが、寝ながらリードを持っていて、
犬が布団の上かちょっと離れた場所に寝るとかそんな感じ)
それは犬の晩年前まで続いた。
母が旅行に行ったときは私も何度かやったが
私は気になって寝るのも下手なのでいつも寝不足になった。

犬、晩年

亡くなる1年前ぐらいから、鼻血が垂れはじめた。
異常を感じ、母に医者に見せるよう促した。
地元の動物病院では原因がわからず大きな病院へ。
かなり大きな金額はかかったが、鼻のガンだと判明。
放射線治療の道はあったようだが金銭的にも労力的にも
我が家的には厳しく、年齢的なものや効果なども勘案して治療は見送った。

医者から告げられたのは短くて余命3ヶ月。

その余命は結局伸びて、1年を生きた。
鼻がカピバラのように膨れようとも右に曲がろうとも。
足腰が立たなくなりヨロヨロになり衰えていようとも。
小屋の中が血の池地獄になろうとも。
私が血拭き掃除で約束をすっぽかしてしまい、その人と疎遠になろうとも。

あれだけ食欲に満ちて水も飲んでいた、あの頃の姿はもうなく
エサも水も最期には取らなくなり、4~5日後、静かに亡くなった。

食欲が回復した時期があり、浮かれて大きいエサを買ってしまった。
それが丸々残っている。そう、浮かれていたのだ。
もしかしたら、もう1年は生きるのではないかと思ってしまった。

思い返しながら記事を書いていたら涙が出てきた。
ああ、愛しき者がまたなくなったのだなと。

昼、「まだ生きてるよ」とばかりに身をよじろいでいた。
身を起こしたそうにしてたので少し起こして撫でて、また寝かせた。
夜、母から動かないとの報告。
瞳孔は動かず、頑なに開けない口がポッカリ空いていて死亡確認。
拝み、亡骸を箱にしまい火葬の段取りをとる。
翌日、母は火葬場へ。

私は犬の万年床であるケージを片した。
部屋でまだ残る、犬の匂いを感じた。

あとがき

私の活字本との出会いは中学生の頃。
数学教師の担任にすすめられた『少年H(妹尾河童)』。
それまでマンガばかりで、あとはせいぜいゾロリシリーズのような
絵の多い本ばかりしか読まず興味も広がらなかったが
それがきっかけでスレイヤーズなどのラノベを買ったりすることに……
とまあ、そっち方面の話はさて置いといて。

犬が亡くなって就寝しようとして、この記事の文章が浮かんできました。
そして少年Hを思い出し、エッセイ的な文章を書きたいと思いました。
まあ寝るのが下手でAM4時~11時というクソ睡眠時間になりましたが。

私は忘れやすいので思いが強いうちに書きたい。
あるいは、書いてスッキリして忘れて、またいつか読み返したい。
まあ結局のところ、浮いてきた記憶(文章)と悲しみの感情の記録整理
のために書いているという感じでしょうか。

引っ越す前の家がなくなった時は喪失感を感じ
リュウの時は母が1人で片付けてたので感慨は薄かったですが
今回のこの気持ちはただ悲しく、少し違うと思いました。
失う覚悟の1年という期間があったのと私自身が老けて
悲しみの感情だけが残ったのかもしれません。

ここまで書いて、記事を遡って添削をしていたら
少し涙腺も落ち着いてきました。

翌朝火葬されるということで、急いで写真を現像してきました。
家の中の写真より、晴れの外のほうがやっぱり映りがいいですね。

愛犬が平穏に幕を閉じたことを悲喜しつつ
私はまた、頑張って生きていこうと思います。


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