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選択肢が「無い」人ほど成功する3個の理由
無い、納豆がない。
お好み焼きのタレもない。
買いたい洋服がない。
焼肉屋もない、楽器屋もない、テニスのガットも貼る人がいない、、、
セーシェルというインド洋の孤島に住んでいるといろんなものが無い。
そんな暮らしを始めてもう6年目になるが、幸せしか感じない。
今日は「選択肢」について書いてみたいと思う。
選択肢が「無い」人ほど成功する3個の理由
1:選択肢があると人は考えなくなる。
選択肢が無い=必要無い、というわけでは決して無い。僕だって美味しい納豆は食べたいし、テニスもしたい。無いけどそれは欲しいものだ。そんな時人はどうするか?
頭を使うんだ。
納豆をどう手に入れたかは秘密だけど、最近僕は自分でテニスに使うラケットのガットを張れる技術を身につけた。この技術を身につけたことによりさまざまな良いことが起きた。
まずは、今までお店にお願いして、「即バリ(40分ではってちょ)」と言って取りに行くのを忘れたりしてた。これがどれだけ申し訳ないことかよくよく理解した。ガット張るのってこんなに大変なんだねと。。。
それと、自分で張るとなんかラケットにも愛着が湧くので大事に使うし、なんかテニスも上手くなった気になる。
つまり無い事により、頭を使い新しい技術を習得して、学びを得たわけだ。無いことがどれだけ人生を豊かにするか強く感じる。
2:健康になる
日本にいると、飲みすぎたらウコン、風邪ひいたらマツキヨ、骨が折れたら専門の病院。という感じであらゆる不健康に対しての設備が整っている。
ここにはそんなものは無い:)
ウコンもマツキヨも専門医もない。
だから自然と気をつける。
飲みすぎたら途中から水を多めに飲むとか、風をひかないような生活習慣にするとか、危険なことはしないなど。予防的な対策をたくさん取るようになる。そうすると5年間風邪も怪我も無いですなんて感じになる。
あたりまえだが理想は常に100%の体調でいる事だ。それにより最高に人生を楽しめる。(もし本当にやばい病気になったら4時間フライトするとドバイに病院がある)
3:無い事による自分の可能性の無限化
つい先日60代のイタリア人の夫婦を家に招んで僕がラザニアを振る舞った。数年前だと考えられない事だ。僕は料理は嫌いじゃ無いけど好きでもなかった。だが、2年ほど前に妻が妊娠した時、「このままじゃ餓死する」と思い料理を始めた。
もし都会にいたらフードデリバリーとかコンビニとか選択肢はいくらでもあったと思う。そして僕は今でも料理ができず、ラザニアをイタリア人に振る舞うなんて絶対にあり得なかったと思う。
でも、幸にもここにはコンビニもないし、美味しいデリバリーも無い。そのおかげで僕は自分の新しい可能性に気がついた。今では週の半分以上は料理をするし、特に人気があるものはレシピ化しようと思う。家の食材の状態にも気を使うし、、自分のブランドでラストランも展開したいなんて思う。
結局「無い」ことは「新しい形の贅沢」なんだと思う。
「ある」という状態は他の誰かが試行錯誤した作品を享受していて。その状態だと自分が試行錯誤するチャンスを失っている事になる。
もしかしたら、自分にその才能があるかもしれないのに気が付かないのだ。
これが圧倒的な成長=成功につながると思う。
都会でどうすればいいか?
もちろん皆んなが世界の孤島に住む必要はないw
都会でも、仕事、家族、恋愛など、あらゆる場面であえて「ない」状態を作ることはできる。特に仕事などはシンプルで、在庫がない、人がいない、お客様がいない、お金がない、技術がない、ボーナスがない、などなど無いことがめちゃくちゃ多い。
この時に、待っている人と、自分から解決策を創り出す人がいる。
僕はみんなに後者になって欲しい。
「ない」=「チャンス」
そう捉えて欲しい。
それができる人は環境に関係なく最高の人生を生きることができ、その人がいる周りの環境も最高なものになっていくだろう。
言い方を変えると「ない」というほとんどの状態は思考が停止しているだけである。
特にスタートアップなどにいる人には「ない」=「チャンス」の思考を実践してみて欲しい。
では、何もないけど、全てが「ある」南の島より、愛をこめて。
まさ
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