この真っ白な世界で。
この真っ白な世界であなたは何がしたいだろうか?
私はnoteを書く。友人とラジオも始めた。
1.妻の味玉
妻が作る”味玉”が好きだ。
醤油味の濃さ、黄身の固さ、出汁の加減。
全てが素晴らしい。
これに勝る食物は世に無いんじゃないかと思える。
お気に入りの食べ方は、
ご飯の真ん中にズドンと置くワイルド飯。
半熟の黄身を崩しながらご飯と一緒に食すもよし。
白米の余熱で温めた卵をビールで流し込むもよし。
ラーメンのトッピングとしては言わずもがな。
胃袋のご機嫌次第で”替え玉”も全然あり。
仙台牛の良質な脂や
カズノリイケダのケーキから接種する糖分以上に、
脳みそが満足してくれる。
そんな理屈では説明できない食べ物なのだ。
味玉は黄身の固さが重要だから再加熱できない。
ご飯やラーメンから"余熱"をお裾分け頂くのは
合理的なのかもしれない。
(但し冷蔵庫からのつまみ食いが最高の食べ方だ)
保存容器に直乗せしているのも問題だが、
白に白で色合いが悪い。
インスタでの役割として、
味玉飯(ATG)は完全にネタ枠。
永遠のライバル"卵かけご飯(TKG)"との実力差は、
日に日に開く一方である。
ところで、ある日の夕食の話をしたい。
正確な日にちは覚えていないが、
冬の寒い日だったと思う。
無心でカレーを頬張る3歳の娘を横目に、
私はATGを食そうとしていた。
モヤモヤしていて、少し疲弊している私。
頭の中では複雑な処理が行われていて
食欲があまりない。
炒め物を糖質0ビールで流し込む。
こうやって食欲の回復を待つ作戦だ。
考えごとをしながら酒なんかを飲んでいると、
過去に深く刺さった知識の針が、
前ぶれなく現れることがある。
そしてそれは、この日も例外ではなかった。
”自らを信じよ 自らを空にして 心を開く時
道は開かれる 心を開くべし さすれば
我は彼なり 彼は我なり”
ドラゴンクエスト列伝 ロトの紋章より
これは、昔読んでいた漫画の中の言葉。
ポロンというキャラクターが、
試練の塔で見つけた"悟りの書"に書かれていた文言。
なぜ今更浮き出てきた針なのかはわからない。
ただ、好きな言葉であることは間違いない。
『私の心を空にして開けば、彼と同心になれる』
ほほぅ。
悟りの書に則り、一瞬だけ味玉への変身を試みる。
とりゃー!!(変身)
味玉の周りには白い世界が広がっていた。
見渡す限りの白で何もない。
そこにあるのは自由だ。
『ご飯に乗った味玉は、
白い世界の上にポツンと立っていた』
(変身解除)
これは左脳人間である私にしては、
かなりのアート表現だ。
そして同時にこう思った。
『これは私たちの住んでいる世界に
ちょっぴり似ている』
モヤモヤが少しずつ晴れようとしていたと同時に、
この発見は眠れない夜の訪れを意味していた。
2.人は生まれながらに自由なのか
あの時感じていたモヤモヤの正体は
”自由”についての考え方だった。
なぜそう思うようになったのか記憶を辿る。
始まりはコロナ禍が始まった2020年3月頃だ。
私は日々こなしていく多大なタスクに対し、
不自由さを感じていた。
仕事、家事、育児の3銃士に、
読書、視聴、趣味、トレーニング。
悲しいかなヒトは『間や余白』を嫌う生き物だ。
タスクは星のように散在しているものではなく、
買い物かごにギッシリ詰められた生鮮食品に近い。
そしてかごに詰められた食材を必死にレジ打ちし、
手早く袋詰めしていくのが私たちの仕事なのだ。
特にコロナ禍ではリモートワークが増え、
ONとOFFの境界線が曖昧になった。
移動時間が減って軽減されるはずのタスクは、
より強度の高いスケジュールに変換されている。
もはや日常に多くの余白は存在しない。
僕の好きなWEEKLY OCHIAIという番組の中で、
安宅和人さんが言っていたことを思い出す。
「これからは間をつくる人。
すなわち"間クリエイター"という職種が増えますよ」
※有料会員しか見れないが、素晴らしい内容なので興味がある方は視聴してみて欲しい。
リモートにより増えるはずの可処分時間が減り、
私達は合理性を求めるパズルに放り込まれていく。
「合理性で最も不要なものは人間である」
誰が言ったか忘れたが、
2020年で最も印象に残っている言葉の1つだ。
単純に合理性のみを追求した場合、
最初に排除されるのは人間だという意味では
非常に説得力がある。
そりゃ作業を行うのは、
AIやロボットの方が効率的に決まっている。
つまり、仕事の合理化による生産性向上とは、
本来は人間にしかできないクリエイティブな仕事を
いかに機械に任せられるかという競争なのだ。
なので合理化された未来に
待っているシナリオは明確である。
「はい。まさおさんはもう必要ありません」
となる。
しかし、私はこれはこれで良いと思う。
それは、人が作業を合理化するために
道具を作ってきた歴史があるからだ。
例えば、貨車を作ることで
水を運ぶ人工を大幅に減らすことができた。
また、ブルドーザーやショベルカーを用い、
開拓や修繕にかかる人的コストを劇的に減らした。
つまり、人がやらなくてもよい仕事はやらない。
人を快適にするために今の仕事をしていると
考えれば全く違和感はない。
だからデジタルツールを活用した合理化は
どんどん進めるべきだと思っているし、
それで困る仕事は、なくした方が良いとも思う。
では仕事がなくなってしまった人は
一体どうすれば良いのか?
私の答えは、アートや趣味を極めるか、
ボランティアなどの社会貢献に時間を
割くことが良いと思う。
最低限の補償として議論されている、
ベーシックインカムが成立すれば何も問題ない。
生活のためにタスクをこなすことはなくなり、
ただ”自分らしく生きる”ことを全うすれば良いのだ。
私も含めた多くの人たちが、
”自分らしさとは何か”という問いに対して答えを求めているのは、そういった未来を肌で感じているから
ではないかと思う。
私は10~20年後の近未来について、
なんとなくそんな世界感をイメージしているし
割と合っている気もしている。
だから、”自分らしさを再定義”することは、
今すぐやらなければいけないと思いnoteを始めた。
とはいえ、人は忙しさを解消するために、
より忙しく働く生物だとも思う。
「ベーシックインカムを活用し、
Well‐Beingを大切に生きましょうね」
本当にそう言える未来になっているのかは、
今こんなことを書いておきながら半信半疑だ。
自分らしさの重要性について考えていた2020年。
タスクに追われネガティブになった時期もあった。
押し詰められたタスクをこなしている人生は、
果たして自由で豊かだと言い切れるのか?
では自由とは何だろう?
2020年末頃にこんな思考に至り、四六時中考えた。
そして案の定、悲観的になっていた。
後から見返せば、これぞコロナ禍と思える内容でもあるが、渦中の本人は必死だった。
そんななかだ。
尊敬するメンターからこんな言葉を聞いたのは。
「まさおさん。人間はだれしも自由なんですよ。
不自由な人はこの世に存在しないんです。」
ふーん。と聞いていたが
「なるほど」と「意味がわからない」が頭の中で喧嘩をしていた。
その意図の50%は解析できたが、
脳のCPUは処理能力が不足していて
50%は危険なウイルス扱いとされた。
だから、その時は少し違うんじゃないかと思った。
だって人にはいろいろな"しがらみ"がある。
仕事や友人関係、家族、家柄などが代表格だ。
自由に選択できる"領域"があるのは確かだが、
生き方は多くの外的要因に依存している。
生まれながら貧困で、
多くの選択肢を持てない人もいる。
『合っているが間違ってもいる』
答えはこれで完結したように思えた。
次メンターに会う際には
そのように伝えようとも思っていた。
そう。ご飯の上に乗った味玉を見るまでは。
3.白い世界
白という色は不思議と"まっさらさ"を連想させる。
"白紙"や”ホワイトボード”のイメージが強いからか。
同じ"書く場所"という位置付けとしては、
"黒板"や"色画用紙"もメジャーだと思うのだが、
高潔さや無垢さとはかけ離れた印象だ。
(刷り込みとは恐ろしい。)
妻の作った味玉は、
ご飯という真っ白な大地に立っていた。
私たちも生まれたばかりの頃は、
白いまっさらなスケッチボードの上に立っていた。
そこに美味しそうな料理や愉快な友人、
家族や洋服、恋人などを書き足していく。
そう。
世界の色は自分で塗り替えることができるんだ。
直感でそう思えた。
世界の色は決まってはいない。
消しゴムで消せるし、新しい着色もできる。
つまり私たちは明日見る景色を
自分で変えることができる。
私たちの立っている大地は白い世界で、
自由に絵を描くことができる。
だから我々は自由なのだ。
もやは晴れた。
今なら確信をもって言える。
「人は生まれながらに自由である」
この真っ白な世界であなたは何がしたいだろうか?
私はnoteを書く。友人とラジオも始めた。
本業でも新しいプロジェクトに2つ参加している。
その代わり、飲み会に行くのをやめ、
インスタの更新頻度を落とした。
家族との時間も減らしたくない。
出張を減らしてリモートでの打合せに切り替えた。
「何かを始めるためには、まず何かをやめる必要がある」
これは私が大切にしている言葉だ。
【空間×時間】をどうアレンジするか?
世界は白い。人は自由だ。
さあ。この真っ白な世界の上に絵を描いてみよう。
妻の作った味玉を見てそう思ったのだった。
まさお。
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