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台湾は中国なのか?④

前回の記事はこちら


戦争が頻発していたこの時代。
サクッと流れだけ、おさらいします。

明治維新(1868年)

日清戦争(1894年)1年

日露戦争(1904年)1年半

満州事変(1931年)半年

日中戦争(1937年~
↓(そのまま突入)
大東亜戦争

敗戦(1945年)

ザックリこんな流れです。

今回は日中戦争~大東亜戦争を
ピックアップします。

日中戦争は支那事変とも呼ばれています。


その前に清王朝が滅んだ頃の
中国大陸の状況が
台湾にとって重要な人物が居りますので
そこから話を始めます。


◆清の滅亡と中華民国の樹立

あの大国だった清が滅んだきっかけは
以前でも少し出て来た
西太后がひとつの発端でした。

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彼女の強欲政治が終わったのが
1908年の彼女の死亡まででした。

要は清が滅亡した後まで、黒幕として
政治に関与していたんですね。

自分にとって都合の悪い皇帝やその関係者を
次々と殺害していましたから、
清の勢力も衰えていくわけです。


そんなタイミングで清の君主政治から、
共和制への体制を唱えた人物がいました。

※共和制とは、
国家の所有や統治上の最高決定権(主権)を、
個人(君主)ではなく、
人民または人民の大部分が持つ政治体制のことです。


孫文です。

漢人である孫文が
中華民国を樹立していきます。

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ここで、あれ?と思った方はいますか?

台湾の正式名称は「中華民国」です。

中国って、現在の
中華人民共和国になる前は、
中華民国だったんですね。

現在の台湾紙幣の100元札には
孫文が描かれています。

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孫文は、「国父」という愛称で呼ばれ、
中華圏では孫文という名よりも
孫中山という名前の方が広まっています。

台湾にもいたるところに
「中山路」という道路がありますが
孫文の名前から取ったものだったんですね。

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更に「国父」とう呼称も
台北市には「国父記念館」という
観光名所があります。

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台北101ビルに近い、この広い敷地では
イベントも多く開催され、
何度も行ったことはありますが、

長いこと住んでいて、
建物の中に入ったことはありません💦


便宜上「孫文」の名で進めていきます。


孫文は、革命家として清の滅亡と同時期に
広州で武装蜂起を企てます。が、

密告されて、日本に亡命します。

その後、アメリカを経て、
英国ロンドンに渡ります。

ところが現地の大使館に捕まり
一時、拘留されてしまいます。
その時の体験と思いを書籍にまとめ、
世界的に革命家として有名になります。

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清の時代は満州民族の時代です。
漢民族は植民地扱いされていました。

漢民族である孫文は、何とかして
「漢民族による再興と共和制での独立」の信念で
かつての亡命先の日本へ。


因みにそこで、
東京の大学に留学していた
蒋介石と出会うことになります。


大陸に奥さんを持ちながらも
日本女性とも結婚したり、

アメリカ国籍を取得したり、

世界各地を渡り歩いた
破天荒な方。それが孫文です。

世界を見て来たからこそ
従来の中国の体制に
異議を唱えていたんです


その後、革命軍を作ります。

清王朝までの君主制から
共和制に政治体制を変えたかった。

これは中国人民の大多数の意志でもあり
孫文の目指すものでもありました。

15の省が独立を宣言し、
清は、革命軍の制圧に失敗しました。

「辛亥革命」(しんがいかくめい)がこれです。

そしてついに、

孫文を臨時大統領とした、
共和制の中国(中華民国)がここに誕生しました。
首都は南京です。

台湾の正式名称である「中華民国」
中国大陸で産まれていたんですね。


1912年1月1日を
民國元年として元号を改めました。

※元号は、
昭和、平成、令和などと同じです。
日本は天皇の崩御や退任で変わりますが、
台湾は、孫文の建国以来
そのまま使われています。
台湾の現在は、民國110年です。


◆国共内戦と日中戦争

その後、
孫文という偉大なリーダーが亡くなり、
大陸内では二大政党が争っていました。

蒋介石率いる国民党

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もうひとつが
毛沢東率いる共産党でした。

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(このあたりからカラー写真なんですね😁)

蒋介石率いる国民党の「国」
毛沢東率いる共産党の「共」

この内戦を「国共内戦」と言います。


ここから、歴史的にも長い、
日中戦争に繋がりますが

全部書いたら終わらないので
簡潔に要点だけを
漫画チックに書きます!


当時、孫文の意思を継いで
最大勢力となっていたのは
国民党主席の蒋介石でした。

鄭成功

そんな時、日本軍が攻めて来ました。
日中戦争の始まりです。

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内戦してる場合ではない!

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そんな時、共産主義の師匠である、
ソ連(現ロシア)から毛沢東へ連絡があった。

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ソ連の後ろ盾をもらった共産党軍は、

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なんだ後方支援って?😮

毛沢東は、
農村を中心に共産党軍の兵を
集めることを重視し、

日本との戦争には、
あまり関わらないように、
でも、国民党にはバレないくらいに
振る舞ってました。

戦争は長引き、8年余り
大東亜戦争までに拡大していきます。

そして、

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日本軍と最前線で戦っていた
蒋介石率いる国民党軍は
兵力も士気も失い、疲弊していた。

そこに、

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ソ連から武器も提供してもらっていた
毛沢東軍は、兵数が減った国民党軍を
一気に攻めました。

戦力を回復するために、遂に、

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◆日本が撤退した後の台湾

「日本人が去って、大陸から中華の同胞が来たぞ」

元々、
大陸からの移民も多かった台湾の住民は
祖国から仲間が来た!と、
内心、喜びも多少ありました。

「何だ?ここは。
食べ物は豊富にあるし、
環境も素晴らしく整っている」

避難してきた軍人や家族は
近代化された台湾を見て驚きました。


蛇口をひねれば水が出る
この蛇口はそんなにすごいものなのか。

そう言って金物屋で蛇口を買ってきて、
家の壁にねじ込んでみて
「水が出ない!」
と、文句を言った軍人もいたとか…


台湾に拠点を移し、
蒋介石は国民党政府を
台北に遷都しました。

そして大陸にいる共産党との
内戦に備え、力を蓄えます。


台湾の管理を国民党員に任せ
遠隔管理をし、
蒋介石は度々、大陸に行っては
内戦を続けることになります。


🆚🆚🆚🆚🆚🆚🆚🆚🆚🆚🆚🆚🆚

蒋介石って、台湾では英雄扱い
されてませんでしたっけ?
初代総統でもあったはず。
ちょっと雲行きが怪しいですが、
次回明らかにします。

(つづく)








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