本の読み方~森見登美彦が好きな理由~
たいそうなタイトルをつけたが、本の読み方は全く自由でいいのであるという前提のもと、私の好きな読み方を述べる。
一般的な印象として、「教養が身につく」とか、「人間性が高まる」とか、そういった成長志向の目的があると思う。これはこれで、読書の意義の一つであると思う。
かつては私もこのような効果を期待して読んでいたときがある。
しかし、教養や人間性は、そんなにすぐに高まらないのである。
そう思うと、このような目的で読むならば、長く続ける必要があるが、効果が見えないから続かないといった、イヤなミスマッチが起こってしまう。
加えて、私は継続力が絶望的にないので、このような読み方では、楽しく本を読み続けられないことを悟った。
そして、そのときに森見登美彦の小説に出会ったのである。
そのときの衝撃たるや、筆舌に尽くし難く、私はむさぼるように森見作品を読み耽ることになる。
文章を読むだけで、こんなに面白いのかと圧倒された。妄想の世界と内面の独白を、これでもかといった語彙力、言葉の使い方で記述していく。
そんな森見作品を読む上では、ただ言葉の世界に身を委ねればいい。
社会的テーマや人間の裏側をえぐるような鋭さに衝撃を受けるのもありだが、ただ面白く読むことも楽しいのである。
私が森見登美彦の作品を好きな理由はそこにある。
作品の中で、「役に立とうなんて思い上がりさ」と、狸も探偵も言っている。
ただ面白く読む。そんな読み方は、楽しく続く。
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