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中興の祖は誰がなるべきか2

中興の祖は、どうあるべきか、誰がなるべきか、について、前回は私見を述べてきました。
今回は、その私見に基づいて、親族承継についての私見を述べていこうと思います。

あの親族承継

近年で最も有名な親族承継と言えば、敢えて言うまでもないことだと思います。
お名前は差し控えますが、わかりますよね。

あの親族承継は、親子の確執や兄弟の確執など、噂が噂を呼び、さらには、仮定が仮定を呼んで、外野の評論家が好き勝手言いたい放題でした。
※私も外野なので、お名前は差し控えます。

あの問題の一番の原因は、長女だったことでも、長男にしなかったことでも、娘婿についてのことでも、ありません。

後継者が創業者に似ていなかったことです。

創業者が所謂叩き上げで、後継者が所謂エリートで、なんかこう喋り方から雰囲気から全部違う、という印象を受けました。

実子なのに、創業者には似ていなかった。
似せようともしていないようでした。

親子であろうと別人ですから、似る必要はないのです。しかしながら、家業の承継を行うならば、その家業が成功事例ならば、似てくるはずです。
でもそうじゃなかった。
完全外野の私でも似ていないなと思いました。

世襲について

世襲の良さと悪さはそこにあります。
世襲の良さは、創業者に瓜二つの人間が経営すること、世襲の悪さは、創業者の実子ではあるのに似ていない人間が経営することです。

日本史で言うと、最も親族承継に成功したのは、徳川家です。最も親族承継に失敗したのもまた、徳川家です。

父親に似ていないなら、長男でも次男でも承継はさせない、という戦国時代。
先代に似ているかどうかもわからない乳幼児を、当代にせざるを得なかった江戸中期。
累代に似ているかどうかより血筋が近いかどうかが重視された江戸末期。

江戸時代は世襲で成功し、失敗もしたのです。

徳川宗家は、(また、あの親族承継問題においても)再興したイエを見習えば良かった。

江戸時代の養嗣子は、全くの他人ではなく、先代に似た親類縁者から選ばれています。
全盛期の中興の祖に一番似ている者を、後継者にすれば、成功率が極めて高いからです。

そういう意味で、中世や近世の政略結婚は、功罪の功もあった、ということになります。
娘本人の意思はどうなんだ、人権侵害だろうが、というのは現代的価値観です。

御家の存続が、人命より大事だった時代です。
経営者が娘婿を選び、後継者とするというのは、事業継続の観点のみで言うなら、大成功です。

経営者が、累代に似ているかを念頭に選ぶという意味で、娘婿、もしくは、その実子が、中興の祖になる率が上がるからです。

襲名について

イエ制度でなく家元制度になりますが、落語は、襲名によって、ずっと継続してきました。
似ていないなら襲名させない、似てきたなら襲名させる。単純な話ですが、そうやって、家元制度の名残りのある落語は続いてきました。

林家木久蔵は、実の親子間で襲名していますが、先代に似ていなかったら、当代は襲名するべきでない。現実として親子そっくりですけどね。
三遊亭圓楽は親子でありませんが、馬面も腹黒も名乗るに相応しい噺家だったと思います。

誰がなるべきか

ここまで述べてきて、もうわかりますね。
誰がなるべきか。
創業者に似ている人間です。
創業理念を具現化できる人間こそが、中興の祖になるべきです。
可能性として、立ち居振る舞いが似ている人間が、高確率になるのでしょうね。

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