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食の流儀【エッセイ】一二〇〇字

 牛丼屋で、「ツユダクで!」って言っているひと、けっこう多い(最近行っていないけど)。しかし、私は、「ツユ、少な目でね」と言うことにしている。ネットかなにかで、店員さんが賄いで食べる時は少なくすると読んだことがあり、「そりゃ、そうだよね」、と納得。だって、ツユでご飯を食べるわけじゃないのだし。「豚丼」にも言える。焼肉を白いご飯に乗せて食べるさまに似ている。焼肉についたタレで十分。余分なタレはいらない。

紅ショウガと七味が多すぎだろ!と、おっしゃる方もいらっしゃるでしょうが、これ、私の流儀(菊地シェフの製作)
帯広名物「豚丼」を想い出しながら調理した一品!

 焼肉と言えば、網の上にずらりと並べるひとがいる。接待のときとか、接待側の若いもんが、話に加われない代わりにそれが役目と思っているのか、その作業に励む。そんなとき私は、「あ、ああ。お願い! 自分で焼かせて!」と、つい言ってしまう。焼き加減は好みがあるので、「家内制手工業」を希望したいのだ。
「好み」で「事件」があった。つけ蕎麦を音をたてて食べたことで、婚約が解消になった。王監督(当時)の次女が婚約者の音を出しすすって食べるのが気に入らないというのが、理由らしい。ご本人もすすって食べるみたいだが、その音色が気にいらなかったらしい(面倒くさいやっちゃ)。よほど大きかったのか、大口開けてズルズルズーーっとやっちゃったのか、詳細には調べなかったけども。私も、もちろん音を出してすすって食べる。蕎麦の下部3分の1くらいに汁をつけ、一気にすする。すると、蕎麦の香りを感じながら、汁がうまく絡む。その食べ方で婚約解消というのは、逆に、そのほうが良かったじゃないか。いずれ、〇〇だっただろうし。すする音は、剣道の気合に似ている。音なしで食べるのは、静まり返った道場と同じ、と思うのだけど。
 食事中の音だけど。知り合いに、「ぺちゃぺちゃ」と鳴らして食べるものがいる。私は子どもみたいと思うのだが、そのおツレさんは、「カワイイ!!」って言うのだ。「勝手にせい」と思ってしまう。弟が3、4歳の時、駄菓子屋で「うむにゃうむにゃ」と食べていたら、「可愛いね、タカユキちゃん」と言って、タダでもうひとつ、私にもくれた。この話とはわけが違う。
 冒頭の「ツユダク」だけど、鰻重でも敬遠したい。理由は、一つは、牛丼と同じことだけど、もう一つある。私は、食べ終わったときに、重箱にご飯粒ひとつも残さずに食べたいのだ。鰻を一口サイズに四角に箸で切り、寿司握りのように整形して、ごはん粒が落下しないように食べる。底に残る粒も、都度、食べる。それを繰り返し、最後の一粒まできちんと食べて、「ごちそうさま」となる。別に、「米はね、お百姓さんが八十八回の苦労を重ねて作ったものなのよ。たから一粒も残さすちゃんと食べないと」と、躾けられたからではない。「立つ鳥跡を濁さず」精神なのだ。洗い場に運ばれたとき、「まあ! お上品なお客さんだこと」と思われたいわけではなく、「美味しかったですよ!」のメッセージを伝えたいのだ。しかし、「ツユダク」は、粒がバラバラになるのだよね。

きちんと立方体に切り、きれいに食する。これが気持ち良い。
「ごちそうさま!!」 冷酒「吉乃川」(300ml)のフタが2個!!


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