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空砲【エッセイ】六〇〇字(本文)

 夫人は、暗殺された夫の遺体が官邸に運ばれようとしたとき、「死ねば、もはや私人」と述べて、自宅に連れ帰ったと伝えられる。夫人の名は原あさ。夫は、原敬である。夫人は、夫の遺言「葬儀は公の行事を拒み、郷里で」に従ったのだ。
 「平民宰相」と教わった。薩長の藩閥政治家がお手盛りで華族になるのを軽蔑して、自ら称したかららしい。また、ほとんど揮毫きごう*をしなかった政治家としても知られるが、数少ないものに、「宝積」の言葉がある。奉仕して見返りを求めない意味だと語っていたという。その意思が、「私人」に込められている。
 利権まみれの現代の政治家、いや政治屋とは、大きな違いだ。原の総理としての功罪について、いろいろな分析があるだろう。しかし、政治家としての矜持を感じる。国葬なんてとんでもない、と彼の世から言っていることだろう。戦前でも、総理大臣の国葬は、伊藤博文ほか4例。大隈重信でさえも、国民葬だった。
 「いじましいんですね。みっともない憲法ですよ」「こんな人たちに負けるわけにはいかない」と口にする、ちょっと前の、憲法や市民を軽視したリーダーとは明らかに異なる。そのひとの「国葬」が、きのう執り行われた。弔砲の時刻。「国葬反対」の怒号にかき消されたか、19発の音は、国会議事堂には伝わらなかった。
 原の埋葬の際。浅夫人は、参列者にこう言ったという。「墓穴の深さを覚えていてほしい。墓の中から『あなた』と呼びかけるのに困らないために」と。

揮毫きごう:知名人が頼まれて、色紙などに墨で文字等を書くこと

(おまけ)

 国会議事堂前「国葬反対」集会

 自宅からウォーキングで10,000歩(ノルマをオーバー)。議事堂に向かった。
 世論の60%以上が「反対」と意思表示した「国葬」が終わった。政府は、民主的手続きを無視し、ゴリ押しした。自民党の「国民は時間が経てば忘れる」という常套手段。
 自民党の二階俊博氏はCS番組で、「終わったら、反対していた人たちも必ず良かったと思うはず。日本人ならね」と述べた。少なくても私(日本人じゃないようだ)は、忘れません。みなさんも馬鹿にされっぱなしにならないようにね。

 平日の昼間だけに、19日の代々木公園での集会よりは若い人も目立った。

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 早稲田の学生も、来ていました。右下の子が奇異な目で見ていたのが気になる・・・。(笑

シュプレヒコール

 実は、長い文言のシュプレヒコールは苦手なのだ。「べ平連」時代の「安保ハンタイ・安保ハンタイ」「佐藤倒せ・佐藤倒せ」なら良いのだが、最近のは長くて、噛みそう・・・なので・・・。

志位さん(音声のみ)

 前にいるひとのフワフワ白髪。落合恵子かと思いましたよ。(笑

国会議事堂前

 議事堂前には、約15,000人(主催団体発表)。国葬会場近くの九段下では、やはり過激な反対派が抗議していたようだ。

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