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味瓜( アジウリ )【エッセイ】

 人生初の「旅」だった。
 大雪山系の麓。旭川から、石狩川の上流三十キロ弱の位置に、“愛の別れ”と書く町がある。父親が食糧庁(今はない)の職員だった関係で、小学で四回転校し、三校目の町。小学三年から一年半暮らす。六十年安保前夜のざわざわした年。
 夏休みの、ある日の午後。同じ公営住宅の中学生達と急に、旭川まで自転車で行こうということになり、母には黙って、家を出る。
 石狩川に沿った国道。大雪山系の山々を横目に、下る。ペダルは軽い。が、ひとり子供用に乗る私は、徐々に遅れはじめる。先輩達は時々、後ろを振り返り待ってくれた。
 二時間後。パルプ工場の側を通り、花火大会にきたことがある常磐公園に、やっと着く。
 予定よりも時間がかかり、少しの休憩で帰路につく。帰りは、ペダルが重い。徐々に日が陰ってくる。山々を見る余裕など、ない。
 「叱られる・・・」ペダルを必死でこぐ。夕食に遅れ、父に叱られたことが、よぎる。
 愛別橋を渡り、ようやく公営住宅に着く。おそるおそる玄関に。父親の靴があった。
 台所にいた母に、すぐに謝った。
 「お母ちゃん、ゴメン。何も言わずに出かけちゃって・・・」
 「どこに行っていたのぉ、M坊」
 「Aちゃん達と自転車で旭川に行ったんだ」
 すると、茶の間にいた父が、
 「おお、そうか。行けたかっ」
怖い顔が、緩んだ。
 「ハイ! Aちゃん達は大きな自転車だったけど頑張ってついて行きました! 」
 と、息継ぎなしに一気に説明した。
 「パルプ工場って、臭いヨなあ、あそこ。鼻がまがったベヤ」
 と、母と二つ違いの弟に自慢げに、話した。
 母が笑いながら、アジウリを切ってくれ、弟と縁側で、頬張った。
 残照に旭岳が、輝いていたのを、思い出す。

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