見出し画像

ウォーキング小景【エッセイ】一四〇〇字

脊柱管狭窄症を患い左下肢が不自由になる前、8000歩ウォーキングを日課としていた。かなりの速足(時速5.5km)で歩いていたので、めったに追い抜かれることはなかった(腰をフリフリ小走りで抜いていく、勝気な小娘以外は)。しかし今は、リハビリの効果でウォーキングができるようになったにせよ、追い越されることばかり。年上のお姉さま(たぶん、後期高齢者)にさえ抜かれることもある(嗚呼…)。そんなときは、この世の終わりかとさえ思う(大げさだけど)。
しかし、(勝気なワタクシではあったが・・・)この病に関わってからは人間ができてきた(かも)。ちょっと前なら、負けじと追い抜かし、抜かれ、際限なく続いていたが、今は抜いていく輩を冷ややかな目で見つめ、「人生、そんなに急いでどこに行く」なんて思うことにしている。抜き去る多くのひとたちを見て思う。これまでどんなに速足で歩いてきたことかと。ZOOM句会の仲間で、大学からの親友に言われていた。「菊地はよ~。昔から歩くのが速かった。人生も早まるなよ」なんて。ヤツは普通以上に遅い。性格もおっとりしている。大酒飲みじゃないし。オレがヤツに看取られるんだろうな、と思ったりする。
そんなこんなで、ゆっくり歩かざるを得ないのである。が、カメさん歩きであるぶん、違った出会いもある。

スポーツジムに向かっているとき、園児と思われる女の子が歩いて来た。すると突然、「こんにちは」と、声かけられた。
むろん愛想の良いワタクシとしては、(笑顔で)「こんにちは!」と、元気よく答える。
すると、なにか雰囲気がおかしい。
あれ? ワタクシじゃないのか? と、後ろを確認するが、誰もいない。確かに、このワタクシに声掛けしてくれたのだ。
普通なら、小さな子でも、軽く会釈をして通りすぎるか、手を振って笑顔を返してくれる。
しかし、その子は、「期待外れだった」というような表情なのだ。
歩きながら、(なんだったのだろう)と、考えた。
これは、ワタクシの思い違いかもしれないが、その子は、試したのかもしないと。
「声掛けしても、多くの大人は、そのまま通り過ぎる。このジイさんも、たぶん、その手の人間だろう」と声かけたが笑顔で返ってきたので、拍子抜けしたのではないか、と。

同じ日。ジムのノルマが終り、3000歩遠回りして集合住宅に戻り、エレベーターに。
あとから、男の子が、乗ってきた。
「キミ何年生?」とお決まりの一言から始める。
「4年です」
(サッカーのユニフォームのような上下を着ていたので)
「サッカーやっているの?」
「いいえ」
「なにかスポーツやっているの?」
「いいえ」
「でも、なにかやっているでしょう?」
「いいえ。家でブラブラしているだけです」
と、お答えになられた。真面目な顔して答えていただけに、吹き出しそうになる。
すぐに彼は、
「サヨウナラ」と言って、降りて行った。

コロナ禍前、エレベーターで出会った、小2の男児ことを思い出した。
「これから遊びに行くの?」と訊くと、
「紀伊国屋書店に行きます。本を買うんです」と、答えた子のことを。

こんなユニークな子たちに会うたびに、思う。「どんな大人になっているのだろうか」と。
必ずしも紀伊国屋書店の小2の子が大成功するわけでもないし、訝しげな表情の女の子や、「ブラブラ」している小4の子が、暗い人生が待っているわけではない。個性を大切にして生きて行って欲しいものだ。「みんなちがって、みんないい」だよね。(一生「ブラブラ」では、どうかと思うけど)

(ふろく)

朝日新聞朝刊(8月31日)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?