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沁みる夜汽車(3の2)「十三篇」【エッセイ】二四〇〇字

 黄色いチェリーで、群馬・太田から大阪・上新庄に向かった。
 東京の大学を卒業後、草創期であったレストランチェーンを展開しようと、群馬にいた。在学中のバイト先、早稲田・馬場下にあったバーガー店のオーナーに、仲間2人とともに誘われる。が、2年で、頓挫。幸い、準備中に一緒した店舗設計会社の社長に声をかけられる。ダイエー外食チェーン事業部専属の店舗設計・内装工事の会社だった。ハンバーガーの“ドムドム”とアイスクリームの“サーティワン”を請け負っていた。本社は大阪。東京事務所もあったが、本社勤務を希望し、大阪に向かった。
 学生時代、九州に旅をしたときに通過しただけで、初めての土地。だが、“大阪人”になるべく、住民票も移転の手続きをした。本社は、大阪城近くの谷町六丁目。社長は、横山やすしに風貌も話し方も似ていた。後から考えると、群馬のチェーン計画のスタッフとして、休みなしで働いている姿勢が気に入れられたのだと思う。打ち合わせの日程を決めるとき、「年中無休なので、日曜日でも構いませんよ」と言ってしまったのだ(実際に、休みなく働いていた。それほどに楽しかった。経営者として、全てに関りを持てた)。
 さっそく住まい探し。御堂筋線の江坂辺りは、東京の人に向いているということを聞き、不動産屋を当たった。しかし、不動産屋の車で案内された街は、東淀川の上新庄だった。車が淀川を渡ったところから、雰囲気が怪しい(後で知るのだが、マンションの近くに暴力団事務所があった)。それでも、物件はなかなかきれいで、駅からも近い。ま、住めば慣れるだろうと、即刻、契約することに。最低限必要な電化製品、家具などを買い込み、後は太田の荷物を整理し、愛車で引っ越すことにしたのだ。
 約600km。途中休憩を挟んで、5時間。平均時速120km以上で飛ばした。これでしばらくは関東とオサラバ。関西人になるべく、腹も決まっていた。フロンティア精神の道産子。どの地域にも、溶け込む都合の良い性格をしているものが多い。さらに個人的には、父の仕事の関係で、小学六年間で5回も学校が変り、新天地での適応力をも身に着けている。一人で運転している淋しさはあったが、新たな仕事への期待のほうがまさっていた。
 初出勤の日。阪急京都線から南森町で地下鉄谷町線に乗り換え、30分もかからなく、本社ビルに着いた。なかなか快適な通勤と思った。が、入社早々にハードな仕事が待っていた。“横山やすし”社長(本名は、渡辺さん)から、命じられたのは、工事が始まって間もない、阪急塚口のダイエーの新店舗内の「ドムドム」の工事だった。
 7月、連日の猛暑。むろん、クーラーは、ない。突貫工事で、帰るのは終電近く。部屋に戻ると、玄関にバッグを落し、ジーパンを脱ぎ、Tシャツとパンツを洗濯機に放り込み、シャワー。ベッドに倒れ込む。朝は、始発。前夜の逆の流れで、シャワーで目を覚まし、脱いだままの形になっているジーパンをはき、直行する、日々。
 ある日の仕事帰り。途中の十三じゅうそうのホームに立ち喰い蕎麦屋があることに気づいた。上新庄から塚口に行くには、阪急京都線から、十三で阪急神戸線に乗り換える。乗車時間は30分足らずなのだが、早朝や深夜は、乗り継ぎの間が開く。夜遅くのその店で、“きつねうどん”と“かやくご飯”を食べた。“かやくご飯”が目新しかった。そして、なによりも関西うどんの汁に感動した。翌朝も、帰りも毎日食べることになった。
 いまでこそ、立ち喰い蕎麦屋は数多あまたあるが(関東では富士そばとか)、当時は珍しかった。後で知るのだが、その十三の「阪急そば」、1967年に関西私鉄初の立ち食いそば・うどん店として開店したらしい(いまは、「阪急そば若菜」になっている)。なので、10年くらいたったときだった。かけそば・うどんは、開店当初は40円だったということなので、大学初任給が急上昇の時代だったから、100円くらいだったか。


 塚口の現場の仕事は、一か月かかったのだが、工事がピークの時期は、毎日、「阪急そば」で食べた。“きつねうどん”と“かやくご飯”。そのうちに常連として知られ、店のオヤジに、「これサービス」と、稲荷寿司を頂戴したほど。
 「ドムドム」の店舗らしくなってきた八月初め。東京から電話が入った。群馬でのレストランチェーンの事業化で、新規大卒者募集の担当をしてくれた、リクルート社員のNさんからだった。
「東京で居酒屋を大規模に展開している会社(居酒屋「天狗」として全国展開し、上場会社になる)が、ファミリーレストラン事業をやりたいらしいのです。菊地さん、大阪に行った直後ですが、その計画に加わりませんか」という内容だった。
 一、二か月、時間をいただくことにした。
 “大阪人”になり切ろうと、マンションを借り、住民票まで移した。塚口での仕事はハードそのものだ。が、うどんを食べながら、(横山やすし似の)渡辺社長や、その参謀格の、(いまの俳優では柄本明風の)及川部長、そして群馬での担当だった、(近大空手部出身で、いまの俳優では横浜流星をちょっと小振りにした感じの)森下さんの顔が浮かんだ。
ブラックな一か月が終わり、次は、ホワイトだった。奈良の桜井に開店する、アイスクリームの「サーティワン」。9時・5時で、車で通える。自分だけなので、一応、現場監督。全て職人任せで、暇だった。“横山やすし”社長や及川部長、そして森下さんが労ってくれたのだろう。しかし、「違うよな~・・・」と思った。
 そんなある日の昼休み、大神神社に出かけ、三輪素麺の爽やかな味に、出会う。ソーメンを食べながら、決めた。「ヨシ、最後のチャンス。東京でレストランチェーンを実現してやろう」と。
 前日に「阪急そば」で、“きつねうどん”と“かやくご飯”を食べ、わずか三か月だった大阪を後にし、東京女子大近くの吉祥寺東町に向けて、黄色いチェリーを飛ばした。

(おまけ)
Note仲間の<くなんくなん>さんの15日の「つぶやき」を見て、作っちゃいました。
「はんぺんの海苔チーズ焼き」。新しい美味の発見であった。うまかったベヤ~(笑



きくち風「はんぺんの海苔チーズ焼き」

<作り方>


材料(2個分) 
ハンペン:1枚 ピザ用チーズ:ハンペンに切れ目を入れ詰める 
黒こしょう (粗挽き):詰めたチーズに乗せる(これピリリとして良い)
のり (8×4cm):2枚 サラダ油:少々 マヨネーズor醤油
あと、
日本酒(呑んべいなら 笑)

焼き上がりを、マヨネーズと醤油で食べてみましたが、私はマヨネーズが合っていると思いました。

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