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バベルの塔【エッセイ】

 独立前の会社で役員仲間であり、今は出版社を営むMからメールがあった。元の会社の雑誌と教育事業のことが書かれてある書籍が、みすず書房から出たので感想を聞きたい、と。
 会社は、翻訳を軸に、出版、教育、翻訳受注を展開していた。雑誌名は『翻訳の世界』。その書籍は、『学問としての翻訳』だった。
 私は三〇歳で入社し、Mは同い年で一年早い。彼は、その雑誌の編集長を八年くらい務め、私は販売促進が担当で、教育、出版の事業部門を受け持っていた。会社の名は、翻訳の象徴「バベルの塔」の話にちなんで「バベル」といった。翻訳教育ではトップで、七〇年代後半から九〇年代にかけて、翻訳に興味を持っていたひとは、「無料翻訳力診断」という広告を目にしたことがあるはずだ。九〇年前後には上場をめざすほどに成長していた。
 その後、彼は編集、私は事業展開の方針になじめず、彼は一年早く、ともに独立の道を選択する。会社は、我々が退社したからとは言わないが、上場どころか、縮小の道を歩む
 書籍は、雑誌の編集方針の歴史的考察を中心に、翻訳教育の経緯について取材をもとに分析した内容だったが、その時代は、我々が輝いていたころで、懐かしく読み切った。
 さっそく、感想を送った。
 しかし、なかなか返信がない。コロナ禍の中、打ち合わせで、街で呑んでいるとあったので心配だったが、二週後にやっと、届いた。
 「メールはすぐ反応できるのとできないのがあって・・・」返事が遅くなった、と。
 上場をめざしていたころの社屋は麹町にあり、円柱状のビルで、まさに「バベルの塔」のようだった。その書籍を読みながら、競合だった会社を調べているうちに、驚きの事実を知った。翻訳教育で二番手だった学校が、その麹町のビルを教室にしていたのだった。
 急に彼と呑みたくなったが、できていない。

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