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泣き虫【エッセイ】一二〇〇字(本文)

 早稲田エクステンション「エッセイ教室」夏講座最終のお題は、自由題。『強がり』(600字)というタイトルで、提出しました。そのタイトルを『泣き虫』に変え、1200字に拡大したものです。
                ※
 「人前で涙を見せるな」と、厳しく躾けられた。
 次男の父は、5歳違いの長男を寵愛する母親に反発し家を飛出し、16歳で海軍少年兵に志願する。約10年の軍隊生活。潜水艦の乗組員で、最後は人間魚雷の隊員だった男。バリバリの軍人だった。
 2歳違いの弟と、海軍仕込みのスパルタ教育を受けた。長男には、特に・・・。よく言われていたのが、「人前で涙を見せるな。泣くな」。
 それでも、小学校に入る前はよく泣いていたのだが、叱られた記憶はない。『北の国から』の舞台・麓郷にいたある日。富良野の映画館に連れて行ってくれた帰り。父が買い物している間にバスに乗せられ、ロータリーを旋回するため動いたとき、「お父ちゃんが乗っていないよーー」と、ワーンワーンと泣いたが、「バカだなあ」と頭を撫でてくれるくらいに。
 しかし、小学校に入った頃。近所の上級生とケンカし、泣きながら戻ったとき、手のひらが飛んだ。「負けて泣きながら帰ってくるな」と。すぐに踵を返し、石を投げつけ相手が逃げたところで涙が消え、勇んで家に。「〇〇ちゃん、逃げて行ったよ!」と大きな声で言ったのだが、「ヨシ」とだけ・・・。それ以降、泣くのは止めた。年に何度かの折檻のときも、涙は出なかった。泣けば、さらに強く殴られると思ったから。
 一度、溜った涙が、不覚にも流れたことがある。高校1年のとき。成績が極端に落ち始め、「野球部を辞め、北大に行け」と、野球を教えてくれた父に穏やかに説得されたときだった。悩んでいたときに、助け舟を出してくれたからだったと思う(穏やかに言われてしまってはねェ・・・)。
 父の元を離れるまでは、その日以外は、泣かなかった。

 むろん、55歳で逝くまで、父の涙は見たことはない。涙を見せるどころか、母が50歳で亡くなったときでさえ、母の熱い遺骨で煙草に火をつけた。そんな男だった。
 しかし、小学5年のある日———。
 父の仕事は、コメの検査する食糧庁の役人。農村が多く、職場である事務所は住宅と一緒になっていることが多い。ある日、父が、事務所から居間に戻ってきて、台所で顔を洗っていた。すぐに戻った後、母が教えてくれた。「札幌の伯父さんが亡くなったの。たぶん、それで顔を洗っていたのね」と。母親の封建的な差別に怒って少年兵に志願したが、叔父とは仲が良かった。「役人になれたのも、兄貴の口添えのおかげ」と、よく言っていた。
 父の躾にも関わらず、私は涙もろい。両親がともに50代で鬼籍に入ってからだろうか、急に涙腺が緩みだした。母のことを想い出したりしたら、すぐに泣けてくる。ジジイなった、いまも。特に、『北の国から』の感動シーンの話をすれば、必ず涙が零れてくる。女性の前でも。
 <ラーメン屋><母・令子の葬儀後><五郎の悪口を言う連中に物申す清吉><シュウの過去告白を聞く純><馬を売る笠松杵次><母を見送る蛍の全力疾走><純と蛍の靴探し>・・・、そして<泥の付いた1万円札>のシーン。書いているだけでも、涙が———。
 とにかく、すぐ泣く。父の前で溜めた涙が、一気にあふれるように。

 しかし、その父が55歳で逝った日。言い付け通りに涙を零さなかった————(親父の前ではね)。

(ふろく)
『泣き虫【エッセイ】一二〇〇字』の元原稿の『強がり』(六〇〇字)です。

 「人前で涙を見せるな」と、よく叱られた。
 次男の父は、五歳違いの長男を寵愛する母親に反発し、家出。少年兵に。十年の海軍生活を経験。潜水艦の乗組員で、最後は人間魚雷の隊員だった男。バリバリの軍人だった。
 二つ違いの弟と、海軍仕込みのスパルタ教育で、躾けられた。長男には、特に・・・。
 上級生とケンカをして泣きながら戻った、小一のとき。父のてのひらが飛んだ。「負けて泣きながら帰ってくるな」と。すぐに踵を返し、石を投げつけ、勇んで家に。「逃げて行ったよ!」と言ったのだが、「ヨシ」とだけ・・・。
 以降、父の前での涙は、やめた。一度だけ、溜った涙が不覚にも流れたことがある。高一の秋。成績が極端に落ち、「野球部を辞めて、北大に行け」と、野球を教わった父に説得された。穏やかに、言われてはね。
 その父は、人生を通して私に涙を見せることはなかった。しかし、小五のとき—————。
 帰還後の仕事は、食糧庁の米の検査技官。職場は農村で、住宅と一緒になっていることが多い。ある日、父が居間に来て、台所で顔を洗っていた。戻った後、母が教えてくれた。「札幌の伯父さんが亡くなったの。お兄さんとは仲が良かったから」と。「役人になれたのは、兄貴のおかげ」と、感謝していたとも。
 その父が五十五歳で逝った日。言いつけ通りに、涙を零すことはなかった。親父の前では・・・、ね。

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