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風【エッセイ】二〇〇〇字

「人は死ねば宇宙の塵芥。せめて美しく輝く塵になりたい」

 ワタクシにも、訪れる。あと10年? 20年? 20はムリか…。ひとさまにご迷惑がかからぬように、そろそろ決めておかねば、と思っている。墓のことである。しかし、ワタクシは、つくろうとは思わない。ついでに言うと、両親、弟が眠っている(と世間さまがおっしゃる)故郷・北海道の墓にも入らない。オヤジが苦手だし(最近、別のオヤジ、ヒグマくんがお出ましになるようだし)。

 ワタクシのような人種は別としても、近年、墓を作らない(れない)ひとが増えているようだ。少子化や核家族化の時代であり、そして、子に恵まれないひとたち、あえて独居を好むひとたちなど、(これも多様化だろうか)さまざまな生き方が進む現代社会。これまでのように墓を受け継ぎ、管理・維持し続けることは難しいという世相が背景にあるだろう。
 しかし、墓を作らねば、遺骨をどうするか。それが問題になる。
 かっこよく散骨という手もある。
 マイゴルフコースの支配人の依頼で、会報の投稿エッセイで散骨のことを書いたことがある。「わが骨を赤ティの下に埋めて欲しい。それほどにこのコースを愛しているのだ」というような内容。すると、支配人が、「さすがです、菊地さん。ですが、その『赤ティ』の部分だけ修正させていただいてよろしいでしょうか」と、言いやがる。赤ティは女性が多く使う場所。公序良俗上、不適切と判断されたようだ。「赤ティ」は冗談としても、どこでも捨てられる代物ではない。
 「宇宙の散骨」という話がある。なかなかいいアイディアだが、お金が半端じゃないだろうし、真っ暗闇は怖い(どこも真っ暗だろうから同じか)。海? 泳ぎは得手じゃなかったので、あまり好まない。空中に撒くのは、こんなアルコール汚染された骨では、みなに迷惑がかかる。散骨どころか、遺骨を引き取らない「ゼロ葬」と呼ばれる葬儀のスタイルもあるらしい。しかし火葬後、どんな扱いになるのか、大いに不安である。かと思えば、「手元供養」なんてものがあるらしい。愛するひとがアクセサリーとして身に付けてくれるという羨ましい供養のようだ。残念ながら、そのようなご奇特な方はいない。献体も調べた。ところが、大江の小説のようにホルマリン漬けにしてプールに浮かべる(都市伝説)わけでなく、ご遺体を管理する予算がバカにならないらしく受け入れ数が限られる。ご時世か希望する人が多く、ここでも倍率が高いようだ。
 人気なのが、樹木葬と聞く。バカ高くないし、樹木の周囲に花畑があったりして美しい。忘れ去られるまでのしばしの間はその周りに訪れるひともいるだろうから寂しさも紛れる。ご近所で、なにかと世話になった早稲田あたりに何か所かあるようなので、それもよかろう、と思っている。でも、いまでも“お兄ちゃん”と呼び続けてくれる(小さい頃からプレゼント攻めをした成果ではあるが)郷里にいる姪には少し遠すぎる。分骨して、両親の墓の軒下に置いてもらうというのも、アリか。とか、とか、いろいろ考えている。しかし、いずれにしても、あとに残る方々のため。時が過ぎれば、全て消える。

 冒頭の言葉は、樹木希林の言葉らしい。曽野綾子の『死ねば宇宙の塵芥』を読んだのであろう。「宇宙の塵芥」という言葉には、大いに納得。共鳴できる(タダで宇宙に行けるし)。
 母親のお腹の中で、得体の知れない「宇宙の塵芥」が合体し細胞が大きくなっていく。そのまま、その居心地の良い液体の中で浮遊していたかっただろう(毎朝、蒲団のなかでそのまま眠っていたいと思うように)。しかし、ある日突然、この世に出てこなければならなかった。それは、<生老病死>の始まりだった。そして、この世に慣れ、「老」「病」なる自裁不可な「苦」を経て、得体の知れない「死」に向かって行く。(佳き夜はそのまま起きて居られたらと思うように)永遠の命を乞うが、いつかは「宇宙の塵芥」となる。それだけのことなのだと思う。
 『千の風になって』ではないが、想うひとは心のなかにある。
 ワタクシの場合、喜ぶお方はいても泣くかたはいらっしゃらないと思うけども、ちょいとだけでも偲んでいただけるような殊勝な方々がいらっしゃるなら、大仰なことは行わず、みんなで集まりワタクシの悪口を言いながらワイワイガヤガヤと騒いでくれたほうがいい。ワタクシには分不相応なワインを飲まずに残しておくので、すべて飲み干して欲しい。その光景をいま想像しているだけで、ワタクシも、愉しい。
 ちょっとわがままと思うのだけども、火葬場の煙に、遠くから手を合わせてくれるような元カノさんがいてくれたなら、なにも未練を残すことなく、宇宙に旅立てるのだけど——。

Photo by Dmytro Gilitukha

(おまけ)
<9月24日追加>

投稿翌日の東京新聞と朝日新聞の記事。偶然にも、「墓」がテーマでした。

東京新聞朝刊(2023年9月24日) 「筆洗」
朝日新聞朝刊(2023年9月24日) 二面


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