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天気予報【エッセイ】一四〇〇字(本文 六〇〇字)

 きょう6月1日は気象記念日である(と、思って原稿を書いていたのだが、昨日、「天声人語」に先を越されてしまった。ずるい・・・。が、私なりに・・・)。

 1875年(明治8年)6月1日、東京・赤坂葵町(現在のホテルオークラのあたり)に日本初の気象台、東京気象台(現在の気象庁)が設置され、東京で気象と地震の観測が開始された。1942年(昭和17年)になって、中央気象台がその日を記念日として、決めた。最初の天気予報は、気象台設置の9年後、1884(明治17)年6月1日の朝、発表された。その予報文は、「全国一般風ノ向キハ定リナシ天気ハ変リ易シ但シ雨天勝チ」(朝日では、明治政府のお雇い外国人で、プロイセン生まれの船乗りであるクニッピングが予報し、書いた、とある。)という日本全国の予想をたったひとつの文で表現したもの。東京の「派出所」等に掲示された。この日より、毎日3回の全国の天気予報が開始された、らしい。

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 その意味は、「天声人語」によると、〈全国一般 風の向きは定まりなし 天気は変わりやすし ただし雨天がち〉。「だからなんなの? はっきりしてよ」と、いまなら思うような予報。風向き、天気は外れようがない表現。きわめて無難。雨がちであることだけはわかるけど。しかし、精度が高まったいまでも、ときどきは見受けられるよね、どっちつかずの予報が。
 ちなみに、気象の神様が祀られている神社がある。東京・高円寺氷川神社。そこの絵馬は、下駄型になっている。

image_高円寺氷川神社絵馬_すぎなみ学倶楽部03

高円寺氷川神社絵馬(すぎなみ学倶楽部から)

 子どものころ、一日の遊びの終わり際、お決まりごとのように下駄ならぬ靴を放り上げては明日の天気占いに夢中になったことが、懐かしい。当然、靴が表向きになるまで繰り返すのだ。むろん、家に戻ったら、泥だらけの足を洗うように、母からきつく言われるのだが・・・。
 記念日が、6月1日というのは天気にふさわしいような気がする。私の故郷、北海道は梅雨がないと言われるけども、梅雨前線から離れているだけで、長雨はないが立派に雨は降る。子どものとき、楽しみしている行事がある日に限って、雨が降る。運動会、遠足、社会見学、そして野球の試合の日。靴予報だけでは不安なので、テルテル坊主の合わせ技で、当日の朝を迎えていた。
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 「あーした、天気にな~れ」と、靴を飛ばし、上向きに落ちれば、晴れ。逆さになれば、雨。横になっていたら、曇りという遊びがあった。けっこう当たっていたような気がする。
 衛星やスーパーコンピューターの導入で、精度の高い予報が可能になった。が、わが「晴れ男」ぶりは、その予報さえも狂わすことが多い。
 ゴルフの日に台風が上陸するという予報。同伴者からは弱気な発言。でも、私は言う。「晴れ男の私を信じなさい」と。が、内心は、揺らいでいた。台風と完全にご対面の雰囲気なのだ。
 当日。目的地は、関越高速の藤岡。練馬から乗り。完全に台風の中を走ることに。今回は完全にアウト、と頭をかすめる。台風の時速が50kmくらいだったのだろうか、追い抜かれはしなかったが、追いかけてくる。
 私は祈願した。
 やっとの思いで、ゴルフ場に到着。クラブハウスのレストランで外を恨めしそうに見ていたのだが、なんと、文字通りの「台風一過」。激しい雨が去っていくと同時に、晴れ間が拡がってきたのだ。2時間遅れだったが無事にスタートができたのだった。
 プレー日の1週間前に当日の予報が雨だった場合は、シメシメと思う。その逆になることが多いからだ。確かに予報の精度が上がっていることは認める。が、わが「晴れ男」伝説や、冒頭の「靴投げ」のような、科学で証明できないこともなくなって欲しくないと思うのである。

 ちなみに、「晴れ男」は、ゴルフの日しか威力を発揮しない。大切なひとと会う日なんかは、雨が多い。ま、考えようによっては、そのほうが良いかもしれないけどね——————。

『ヤン坊マー坊天気予報』 55年間(1959年から2014年)続いた、馴染みの曲


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