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「奴さん」【エッセイ】一六〇〇字

 「不時不食」の制約を受けない(季節・旬に関係ない)食い物はないだろうか、と邱永漢さんがつぶやくと、友人がたちどころに答えたという。さて、その食い物ってなんだろうか。とんちでもクイズでもない。それは「豆腐」だという。邱さんは、ガッテン!と思ったらしい。豆腐なら、夏食べても冬に食べてもうまいし、料理も多種多様にある、と。
 豆腐の歴史は、せいぜい江戸あたりからと思いきや、かなり古い。しかも出所は中国。前漢の皇族・学者、劉安が発明したといわれ2,000年以上も前になる。製法が日本に伝わったのは、遣唐使によって奈良時代。当初は、貴族や僧侶などしか口にすることができなかった貴重な食べ物だったようだ。一般的になったのが、室町時代以降と、『豆腐入門』(日本食糧新聞社刊)にある。

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 確かに豆腐は冷や奴や湯豆腐以外に、調理方法は和洋折衷いろいろある。味噌汁の具はもちろん、なんと、工夫によっては1000種類もあるという。例えば、豆腐サラダ、豆腐オムレツ、豆腐スープ、豆腐サラダ、豆腐ハンバーグ、揚げ出し豆腐、豆腐グラタン、豆腐ステーキ、炒り豆腐、豆腐ナゲット、豆腐の卵とじ 、豆腐のお好み焼きなどなど。スイーツまである。豆腐みたらし団子 、豆腐ドーナツ 、豆腐ホットケーキ、豆腐ブラウニー、豆腐ケーキ、———。
 しかし、なんと言っても、冷や奴だ。よく食べる。過食だった翌日の朝は、特に。最近は、それにヨーグルトと果物、具沢山の味噌汁(豆腐入り)も合わせる。もちろん、酒の相手としては優秀な肴である。
 食べ方としては、冷や奴以外に、ご批判はあるかもしれないが、湯豆腐がさめた状態のものを食べるのが好きだ。残り物を食べて気づいたのだ。甘みが増す。だから、こうする。
 水から入れて中火で沸騰させてから弱火にし、3分位で火を止め、さます。冷たい方が良いときは、冷蔵庫に1時間くらい入れる。私の場合は、常温に放置し、生ぬるい状態で食べる。豆腐の甘さが引き立つ。かつ、絹でも少々硬めになるので、取りやすい。
 あと、タレ。好みで食すれば良いが、なんといっても醤油は欠かせないので、酒をちょっと加えた附醤油に、みょうが、生姜、鰹節が基本で、そのときどき薬味になるものを加える。アルコホールは、むろん、日本酒を冷で。
 私の御用達は、ウォーキングで立ち寄る新宿・四谷三丁目の、栗原豆腐店。1887年創業、130有余年の老舗中の老舗。昔ながらの手づくり豆腐は絶品中の絶品と、地下鉄に乗って買いに来るひともいるという。テレビ、ラジオ、雑誌などでも数多くの取材を受け 様々な賞も獲得しているらしい。この店の特徴は、絹と木綿を足して2で割ったような木綿豆腐。一丁180円(税込)。「物価の優等生」と言われる卵ほどではないが、価格は抑えられている。やはり「食卓の優等生」の地位は保っている。
 しかし、街中の豆腐屋さんは、スーパーに押されかなり減っているようだ。調べてみると、1960年のピーク時に5万1596軒もあった豆腐屋の数は、2015年には7525軒にまで減少してしまった(厚生労働省発表の豆腐製造事業所数)。
 昔は、少なくても半世紀前までは、リヤカーを引いた豆腐売りの「トー(低い音)フー(高い音)」という金属製リード笛の音が聞こえると、鍋を持って走った。

(Necobido Sound Productionねこびっドーサウンド制作)

 ちなみに、やっこに切るとは、豆腐を大きなさいの目切りにすることで、約3cm角の立方体に切る。このように切った豆腐を冷たくひやしたのが「冷や奴」。江戸時代の槍持ち奴の着物に付ける「やっこ」の紋所に似ていることが由縁のようだ。食べ過ぎは何ごとも良くないが、半丁は食べたい。それが、TOP画像。むろん栗原商店の木綿。

(付録)
投稿直前に、いまでもリヤカーを引いて豆腐を売るひとを見つけた。
「豆腐屋あこ」こと菅谷晃子(41)さんは23歳の時から豆腐を売り始め、今年で19年目らしい。

アーティストをやっているようだ。「おとうふのうた」なんてあるよ。
ご存知の方もいらっしゃるかな?

菅谷晃子(豆腐屋あこ)
千葉県生まれ、看取り士。 小学校5年生よりいじめコンプレックスの塊となり高校を中退する。 様々な仕事をするが続かず、23歳で「こころで販売できる人募集!」の広告をみて “豆腐の引き売り”を行う。お客様と支え合うことで、生きる楽しさを知っていく。現在18年目(昨年時点) 笑顔になれず、ひとりぼっちだと思っていた少女は、笑顔を褒められ愛される女性になれた。 自分の体験を通じて「いじめをなくす」活動、引き売りを通じて高齢化社会を間にあたりにし、 看取り士の資格を取得し「高齢者を支える」活動を行っている。(下記サイトから)


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