なぜ自治体のシステムはバラバラなのか
政府が自治体システムの仕様統一を決め、来年デジタル化のための新法提出を目指すと報じられました。自治体システムの標準化はかねて総務省で検討が進められてきて、直近もデジタルガバメント閣僚会議の下に設置された「マイナンバー制度及び国と地方のデジタル基盤抜本改善 WG」で議題に挙がり、わたしも議論に参加しています。
技術屋の視点でみると、法律で定められた似たような住民事務を、どうして1740もある自治体がバラバラにシステム構築しているのか、不思議に思われるかも知れません。ひとつのシステムで賄った方が効率的ではないかという意見も大きいのではないでしょうか。
確かにバラバラにシステム構築されているために特別定額給付金などの新しい制度ができた際まとめてシステム改修できずに、大量の手作業が発生して給付に時間を要してしまったことは記憶に新しいところです。もし日本全体で単一の住民システムが動いていて、そのシステムに給付金事務を組み込むことができたならば、膨大な手作業を要さず迅速に給付を行えたのではないかといった指摘もあります。
現実には住民システムの大半はパッケージ製品で構築されており、1740もの別々のシステムがある訳ではありません。とはいえ同じパッケージを利用している場合でさえ、カスタマイズされていたり独自に外字や帳票を定義しているので、簡単に繋げてシステム統合できるというものでもないようです。
さらには財務体力があって早くから情報化を進めてきた政令市などの大きな団体に限って、早くから独自に構築した汎用機ベースのレガシーシステムを容易に置き換えられず移行に苦労しています。パッケージ製品の多くは当初ボリュームゾーンの人口10〜15万人の団体向けに設計開発されているのに対して、政令市は早くから電算化していたせいもあって独自要件が多く、市場としては小さいため対応は後回しにされてしまいがちです。
金融分野で都銀はそれぞれ独自のシステムを持ち、地銀はベンダー毎いくつかのグループに分かれて共同化、パッケージ製品を活用しているのと似たようなことが自治体でも起こっています。地銀におけるシステムの共同化は、バブル崩壊以降の経営環境の激変を受けて、ITへの投資余力が小さくなる中で、銀行の統廃合やインターネットバンキングはじめ様々なサービスに対応するために進められてきました。システムの共同化はモデルとなった銀行の業務に他行が合わせるかたちとなるため、カルチャーギャップを乗り越えて各行個別の業務プロセスを標準化するには相当の苦労があったと聞きます。
今回の記事で仕様を統一するという表現が絶妙なのは、必ずしもシステムを統合するとまでは踏み込んでいない点です。記事中で「新法では標準仕様書に沿った情報システムの構築を都道府県や市町村に義務付ける」としていますが、これは既に戸籍分野では行われていることです。標準仕様書に沿った情報システムの構築を義務づけることによってシステムが一つになるかというと、今日でも戸籍のパッケージは複数ベンダーから提供され、文字コードについても自治体独自外字などが使われていることなどから、団体間の相互運用性を十分に実現できているとは必ずしも言い難い状況です。これを全国で繋がるようにするため、法務省では現在も取り組みが続けられています。
戸籍と同様に制度所管府省が標準仕様書を整備したところで、過去何十年と積み上げ澱の溜まったデータが綺麗になる訳ではないし、別々に運用されてきたシステムを簡単に繋ぎ込める訳ではありません。システムを統合するには仕様の標準化だけでなく、業務の共通化や泥臭いデータ移行など、多くのプロセスを踏む必要があります。では住民システムの仕様を標準化するに留まらず、将来的には統合まで視野に入れるべきなのでしょうか。これは実のところ、なかなか難しい問題です。
自治体向けパッケージ製品は競争市場です。複数ベンダーが競争して入札で争い合うことも珍しくはありません。市場の競争があるからこそ選択肢が生まれ、価格競争やイノベーションが起こる余地もあります。これが政府主導で単一の製品となった場合に、適切な値付けが行われ続けるのでしょうか。
自治体の規模や形態によって仕事のやり方には違いがあります。例えば人口376万人の政令市である横浜市と、人口170人の青ヶ島村とでは仕事のやり方が全く違います。日本には約280万もの法人があって、それぞれ同じ法律に従って帳簿をつける必要がありますが、FreeeやMoney Forwardといったクラウドサービスを使う中小法人もあれば、SAPなりERPを使って国境をまたいだ連結決算している上場企業もあります。それぞれ業態や組織の規模に応じた選択肢があるからこそ合理的に業務を組み立てられているのであって、これを無駄という人はいません。
自治体が従うべき制度を握っているのは国の府省ですが、実際に業務を組み立てているのは自治体です。現場から遠いところで業務を組み立てて、システムの標準化を行えば、必ず大きな歪みが生じてしまいます。真っ先に標準化が検討されている住民記録とは、いわゆる住民票ですが、この住民票が戦後に整備された歴史を振り返ってみましょう。
明治維新から長らく住民記録としては戸籍しかなかったのですが、戦時中に都市部の配給で人々の移動が増えたために戸籍が配給の原簿としては使い物にならず、実際の居住関係に基づいて自治会が世帯台帳を調製しました。戦争が終わって配給も終わろうという占領下、配給がなくなってしまうと世帯台帳を作り続ける理由が難しくなるが、選挙はじめ様々な事務に使われているのでなくす訳にもいかない、ついては世帯台帳を法制化して欲しいとする声が自治体から挙がりました。この声に応えて法務省が1951年につくったのが住民登録法です。ところが当初は世帯台帳の使われ方を無視して戸籍と同じように様式を決めてしまったために世帯台帳で回していた事務を巻き取ることができず、自治体は制度所管課が異なる住民管理、食糧管理、国民健康保険、国民年金、選挙、住民税などをそれぞれ別々の台帳で管理しなければならなくなってしまいました。そこで1967年に所掌を法務省から自治省に移管して、様式を自治体の裁量に委ねたのが現在の住民基本台帳法です。中央集権の歪みに対する反作用として現在の住民基本台帳が生まれた歴史的背景を踏まえれば、自治体ごとばらばらになってしまっているのは、致し方がない面もあります。
いずれにしても、今回の特別定額給付金のような制度が急拵えでつくられた場合も、迅速に業務とそれを支える情報システムを構築できる仕組みは必要です。そのために地方の情報システムを統一することが合理的とは限らず、システム仕様の標準化さえやれば解決する問題ではありません。意志を持って実現したいことを定義し、その段取りを組み立てていく他ないのです。標準化のための標準化ではなく、具体的な目標を持って、その目標を達成し得る技術的目処が立っているのかを常に考えながら前に進めていく必要があります。そして業務とシステムの標準化は現場を巻き込まないことには、決してうまく行きません。国>自治体>ベンダーという上下関係ではなく、制度整備・業務構築・システム開発といった異なる役割の間で互いに尊重し、矛盾をしわ寄せすることのないフラットな協力関係を築いていく必要があります。ともすれば自治体システムの仕様統一でベンダーは仕事を失いかねない中で、建設的な協力関係を築き、具体的な成果を達成することは、決して容易なことではありません。しかしながら特別給付金の給付に時間を要したことを通じて、現状の国と地方の情報システムの綻びが明らかになった今こそ、手を付けなければならない重要な課題なのです。