新型コロナ後の非正規雇用: 試行錯誤と経験を積む機会を奪わぬための改革を

世の中は新型コロナの話で持ちきりですが、4月からひっそりと働き方改革関連法の施行を受けて同一労働・同一賃金が義務付けられました。なかなか皮肉なタイミングだと感じてしまうのですが、世は外出自粛で多くの事業者が休業を余儀なくされて、多くのアルバイトやシフト勤務の従業員が大幅な収入減に苦しめられています。外出禁止で企画部門の正社員はリモート勤務に移行できても、派遣や請負契約では業務内容や契約上の制約から出勤を余儀なくされているケースも多いようです。

わたしには正直なところ、同一労働同一賃金というのはよく分かりません。たとえ同じ肩書や業務内容であったとしても、成果が変わるのはよくあることですし、似たような業務で似たような成果を出していたとしても、不得手で不本意な仕事を組織の都合で頼むこともあれば、得意でやり甲斐のある仕事を本人が志願して飛び込むこともあります。正社員であれば配置転換の命令を断れず転勤もあるという話もよくいわれますが、非正規であれば職を失ったら自分で次の仕事を探さなければならないのだからもっと大変です。

仮に全く同じ仕事をやっていて、ひとりが有期雇用で、ひとりが無期雇用であったならば、本来は有期雇用の給料を高く設定すべきです。組織として雇用の継続を約束できないのであれば、その人は自分の雇用可能性を自分で磨き続けるための時間的・金銭的な余裕が必要です。単純に賃金・手当を同じように設定したとしても、会社としてその社員を雇い続ける費用は同じではありません。正社員に対して将来発生する費用まで考えたならば、本来であれば企業はもっと高い給料を非正規に払えるはずなのです。

ところが日本では不思議なことに、似たような仕事に就いているにも関わらず、法律と判例によって手厚く保護されている正社員の方が給料が高く、非正規の給料が低いということが起こっています。そこでわざわざ法律に同一労働同一賃金と書き込まなければならなかったようです。ところが法律に書いたところで何ら義務付けられる訳でもなくて、会社によっては賃金や手当の水準を揃えようと模索が始まっていると報じられています。

派遣労働の解禁をはじめとした労働市場改革は本来、成熟経済で成長部門に労働力を寄せなければならない中で、雇用の流動性を高めるために行われてきました。ところが非正規雇用が正社員の雇用を代替することがないように専門性や契約の形態、契約期間の上限など厳しく規制しています。

その結果、新型コロナのような予期せぬ事態が生じた時に、外出自粛の要請を受けても非正規社員だけは出社を余儀なくされたり、業務量の調整弁として真っ先に切り捨てられ、裁量と自律性を持って働けないために経験を積めないままに高齢化してしまう問題が起こっています。本音では雇用の流動化や総人件費の抑制を目的に雇用規制を緩和してきたにも関わらず、建前としては正社員の地位を脅かさぬように政治的調整が図られてきた結果です。

日本の裁判では解雇を余儀なくされるような経営状況でない限り、なかなか解雇が認められない判例が定着しています。そのため正社員の雇用は高い賃金水準で維持し、その矛盾を非正規雇用にしわ寄せしてきました。しかしながら仮に新型コロナウイルスの感染者数が収束せず外出自粛が続いた場合、多くの企業が従業員を解雇せざるを得ない状況に追い込まれるのではないでしょうか。

政府は雇用調整助成金を通じて雇用の維持を図ろうとしていますが、上限が日に8330円までと最低賃金に近い水準では、効果は限定的と考えられます。正社員の雇用を維持できる企業でさえ次年度以降の新卒採用を抑制することで総人件費の圧縮を図る見通しです。バブル崩壊後に平成の就職氷河期世代が生まれたように、新型コロナ後に令和の就職氷河期世代が生まれてくるかも知れません。しかし従前のレールの向こうに未来が見えないことは、危機と同時にチャンスでもあります。わたしが学生時代を過ごした1990年代末も、深刻な就職氷河期であると同時に、ネットバブルで後のIT業界を牽引する起業家たちが頭角を現した時代でもありました。

結果として雇用が維持されるか否かに関わらず、新型コロナ以降の世界は、これまでと大きく変わります。英語やITといった「スキル」だけでなく、組織内での調整プロセスや対外折衝、営業など、これまでは正社員が独占してきた組織内の暗黙の了解や行動原理をはじめとしたソフトスキルについて、これまでになかったリセットと模索、試行錯誤が進むことになるでしょう。ここで重要なのは裁量を持って自律的に働き、試行錯誤を通じて経験を積んで、履歴書に書ける業績を挙げることのできる環境に身を置くことです。

ここで気がかりなのは、足下における非正規雇用の拡大は、総人件費を抑制するために続けられてきたにも関わらず、正社員の仕事を奪わないために、あたかも全ての仕事を厳密に定義でき、契約書に書き込めるという前提の規制に縛られていることです。結果として本来であれば在宅勤務で処理できるはずの仕事であっても出勤を余儀なくされ、需要があるにも関わらず社会的距離を確保しようとすればインフラが整っておらず、自宅では物理的セキュリティを担保できない等の事情から業務を請けられない等のミスマッチが生じています。平時を前提にした規制とコンプライアンスが、結果として非常時に本来あるはずの仕事を非正規から奪っています。

変化の激しい環境にあって非対面で仕事を円滑に進めるには、課題認識やビジョンを共有し、目標や目的を明確にして、個々人に裁量を与えて自律的な働きに委ねる必要があります。同じ職場で働いているときと比べて目が届かないからこそ、裁量を与えてプロセスや結果で評価するしかないのです。

ところが現在の規制ではこういった働き方は正社員でしか想定しておらず、委託や請負では業務を契約にきっちり書き込める前提で組み立てているため柔軟に対応できません。では業務量に合わせて正社員を増やすかというと、経済の先行きが見えない中で、これまでよりも採用は絞るでしょう。結果としてやるべき仕事があって、できる要員はいるけれども、うまくマッチングできずに経済全体が縮小してしまうことも考えられます。

withコロナ、afterコロナの世界を形づくる活動を、辛うじて荒波を生き残った正社員が独占するのではなく、多様な雇用で等しく試行錯誤を通じて経験を積む機会を共有するためにも、非正規であっても等しく裁量を持って自律的に働き学べる環境を整える必要があります。外出自粛で生産性が下がってしまっている中で、リモートワークでの試行錯誤を通じて新たなビジネスルールを創出し、ぽっかりと生まれた時間をどのように活かすかは、ひとりひとりの職業人生において、そしてこれからの社会を形づくる上でも、大きな試金石となるはずです。


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