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連続五度考察

連続五度

和声学を習ったことがある方なら、誰もがご存知でしょう。もっとも基本的なこととして一番初めにならうことが、連続八度と連続五度の禁止です。

しかし、なぜ連続八度と連続五度は禁止されるのでしょうか?これは教科書や先生によってまちまちの答えが返ってくることと思われます。連続八度は極度に声部の独立性が失われるため、というのはわかるのですが、連続五度は別に声部の独立性が失われる、というわけでもなさそうです。硬質な響きのため避けられる、と言われることもありますが、本当に連続五度は硬質な響きがするのでしょうか。

実際に様々な連続五度を見ながら連続五度の響きの本質に迫っていくことにしましょう。

最も初期に出現した対位法は、中世の平行オルガヌムです。これは、ある旋律(とくにグレゴリオ聖歌)に対して、完全音程で重ねながら歌う、合唱を豊かにするための技法で、完全八度、すなわちオクターヴで重ねている段階では対位法と呼べる代物ではありませんが、完全五度、完全四度で歌うようになると、これははっきりと二声の音楽として聴くことができます。なお、最古のオルガヌムは895年の文献に見られます。


さて、時代が中世からルネッサンスになるにつれて、これらの技法はFaux-Bourdonという形に発展していきますが、ここでは連続五度はめったに見られず、もっぱら連続四度として用いられています。

例として、Guillaume Dufayの、Ave Maris Stellaをお聞きください。


とてつもなく豊かな響きになりました。ただ、現代の和声理論からみるとかなり破格で、一種異常な和声感というか、異世界感があるかもしれません。もちろん、今から600年も前の音楽ですから、現在と全然違う響きがして当然です。

さて、ルネッサンスから始まる長い長い連続五度禁止の時代が到来します。

完全五度→減五度、減五度→完全五度(現代の和声法では禁則とされるが実際にはよく使われていた)はそれでもよく見かけますが、完全五度→完全五度というのはほとんど見ることが無くなりました。

バロック・古典時代で連続五度を見かけることもありますが、それは大抵の場合作曲家のミスと呼べる場合に限ります。

しかし、ロマン派の時代になると、だんだんと連続五度がまた姿を現し始めます。とくにショパンの楽曲には数多くの連続五度を見出すことができます。しかも、繊細な音楽によく使われているのは特筆すべきことだと思います。

Andante spinato et Grande polonaise brillante

綺麗にソプラノの旋律がバスと完全五度を作り続けいることがわかると思います。もっと繊細な連続五度の例を挙げましょう。

Piano sonate No.3

この譜例の3小節目からの連続五度は非常に美しいです。ここにおいては、連続五度が硬質な響きを持つという説は完全に反駁されたように思われます。

もちろん、連続五度に柔らかく豊かな響きを持たせたのはショパンだけではありません。ブラームスの例を挙げてみましょう。

Op.118-2 Intermezzo

この譜例では、3小節目と4小節目のバスとソプラノにはっきり連続五度が見られます。三部形式のはじめのクライマックスと言える部分に連続五度を持ってきたというのは一種の意図的なものを感じます。(なお、ここはV→IVという弱進行の禁則も持ってきているので、和声の授業で持って行ったら大変なことになりそうです)

このように、連続五度は決して常に硬質な響きによって避けられるというわけではなく、むしろ豊かで繊細な響きを作り出すこともあります。

しかし、これぞ禁則の理由だ!とも思える硬質で異質な響きを直接的に見せてくれた作曲家もいます。エリック・サティです。

Sonatine Bureaucratique

この部分は明らかに連続五度の禁止を逆手にとって笑いを誘う部分です。実際に平行オルガヌムとも全然違う硬質な響きを聞き取ることができます。

なお、サティも常に連続五度が硬質な響きだとは思っていないようです。たとえば、Gymnopédie No.1の中に、柔らかい響きの連続五度が登場します。

ロマン派が終われば、機能和声から解放され、また、連続五度は自由に使われるようになります。ヒンデミット・ショスタコーヴィチ・バルトーク・・・例を挙げればきりがありませんが、繊細で柔らかい響きを持つ連続五度の例、硬質な響きを持つ連続五度の例として、ラヴェルとリゲティを挙げてみましょう。

Sonate pour violon et piano, sol majeur

とてつもなくシンプルな音楽で、神聖に優しく完全五度が響きます。


リゲティらしいリズムと旋律が完全五度の硬質な響きにより際立っています。

使いようによって、完全五度はやわらかい響きにもなりますし、硬質な響きにもなります。声部の独立を妨げるような連続五度もあれば、はっきり二声に聞き取ることができる連続五度もあります。それらは全て曲のなかでどう用いられているか、にすぎません。

私なりに連続五度が避けられていた理由を考察しみます。

ルネッサンス・バロック・古典・ロマン派の400年ほどの間、連続五度が避けられていた理由は、中世の平行オルガヌムの響きからの脱却ではないかと思っています。そして、完全音程の和声から三度堆積の和声を独立させるための規則なのではないか、とも思います。

なんにせよ、時代の前後の文脈によってできたルールであって(そして、これこそが音楽の本質かもしれませんが)、音や響きそのものの理由によるものではないと思っています。


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