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僕が休職するに至った経緯

○休職しました

「適応障害です」

2024年6月17日、僕は医者からそのように診断されました。

大変だった就活を経て、今年の春から東京へ上京し、幼少の頃から、しんどそうに働く親父や周囲の大人を見てきて「皆が活発に自分に合った働き方ができる社会になるために尽力したい」という確固たる意思を持って、晴れて私は大企業に勤めることになりました。

晴れやかな気持ちとともに私の社会人生活がスタートしましたが、紆余曲折あり、入社後たった二ヶ月半で精神疾患を抱えてしまい、休職する運びとなってしまいました。

別に会社がブラックだったわけではありません。かといって人間関係に悩まされたわけでもなく、それどころかむしろ良好。同期にも先輩にも上司にも恵まれていたと思います。


ではなぜ休職しているのでしょうか。

○休職した原因

事の発端は、会社の構造的な問題や業務内容に対して私自身が叶えたいと思っているビジョンが矛盾しているのではないかと感じたことがキッカケでした。

休職前の私は、営業職としてテレアポを行っていました。先方に電話し、アポを取る業務です。もちろん一筋縄では行かず、社名を言った瞬間にガチャ切りされるなんて日常茶飯事。クレームを言われることも度々ありました。中には「お宅の会社だけは絶対使わん!!!!」とさえ言われることもありました。

「アポなんて取れなくて当たり前」
そのように刷り込まれてきましたが、私が考えすぎてしまうせいか、それでも心に来るものがありました。そんなテレアポ漬けの日々が私にとっては苦痛で仕方ありませんでした。

しかし、やっとの思いでアポが取れたときはとても嬉しかったです。
中には、「お兄さんがそんなに真剣に言ってくれるなら」とまで言ってくださる先方様もいらっしゃいました。そして何より、私がアポを取る度に同期も先輩も上司もとても喜んでくれたことが素直に嬉しかったです。

そのような「自社やクライアントへの貢献実感」があったからこそ、私はなんとか辛い業務にも耐えられていたんだと思います。

○失望・葛藤・発症

しかし、ある日、私は同期から無視できない知らせを受けました。

「別のオフィスでは上の人がアポを意図的にキャンセルしているケースがあるらしい」と。

私はそれを聞いて失望し、一気に仕事に対するモチベーションもなくなってしまいました。

先方を助けるためにアポをとるのが今の私の仕事なのに、そのアポが消されているかも知れないと聞いて私はいくつも思うことがありました。

「何のために辛い思いをしてまで電話をかけているのか」
「自分たちだけでなく先方にも迷惑がかかるんじゃないか」
「じゃあアポを取る度に自社のクライアントが減るかもしれないのか」

あれこれ考えてしまいましたが、何よりも強く感じたのは、この会社にいて本当に自分のビジョンが体現できるのか、と疑問を感じてしまいました。

「皆が活発に自分に合った働き方ができる社会になってほしい」と自身のビジョンを語っていた私自身が全く活き活きと働けていない。そんな自分や会社に矛盾を感じ、落胆してしまいました。

しかし、
「それでも日々の業務は行わなければ」
「やるからには頑張らないと」と、
そんな真面目な性格が裏目に出てしまい、とうとう身体に支障が出始めてしまいました。

仕事が不安で眠れない、趣味も楽しく感じない、食欲もない、無気力、など
でも会社の皆のモチベーションを削ぎたくないという思いが勝ってしまい相談できず、一人で葛藤していました。

自力解決を計り、最後の手段として週末に地元に帰り、リフレッシュを試みましたが、気持ちは変わりませんでした。
どうすることも出来ない状況に限界を感じたため、私は翌日上司に休みをもらい、心療内科を受診しました。

そして私は、適応障害と診断され、約2ヶ月間療養することになりました。

○まとめ・次回

ここまでが私が休職するまでの一連の運びです。

次の投稿では、「僕が復職を決めた理由」を綴ろうと思います。
読んでくださった皆様、本当にありがとうございます。
次回も読んでくださると幸いです。

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