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(1分読み)ユニバーサルデザイン(UD)の教科書157 見える化⑩60年前-世界を変えた視覚言語 :1964年東京「国際的なスポーツ競技大会」ピクトグラム

見える化⑩60年前-世界を変えた視覚言語 :1964年東京「国際的なスポーツ競技大会」ピクトグラム

概要

1964年東京「国際的なスポーツ競技大会」は、様々な革新的な取り組みが行われた大会として知られています。

その中でも、言葉や文化の壁を超えて情報を伝達する視覚言語「ピクトグラム」の開発は、大きな功績を残しました。本稿では、この「国際的なスポーツ競技大会」ピクトグラムの制作プロセス、制作内容、制作者、日本社会や世界への影響について解説します。

1. 1964年東京「国際的なスポーツ競技大会」:革新の舞台

この「国際的なスポーツ競技大会」は、戦後の日本復興を象徴する大会として開催されました。

当時、日本は高度経済成長期に突入し、国際社会への復帰を模索していました。「国際的なスポーツ競技大会」は、その国の発展を世界に示す絶好の機会と捉えられました。

2. ピクトグラム誕生:視覚言語の必要性

当時、「国際的なスポーツ競技大会」には世界中から様々な言語を話す選手や観客が訪れることが予想されていました。

言葉の壁を乗り越えて情報を伝えるためには、視覚的なコミュニケーション手段が必要と考えられました。

3. 制作プロセス:試行錯誤と革新

ピクトグラムの制作は、デザイナーの勝見勝氏率いる12人のチームによって行われました。

当初は、写真やイラストを用いた案も検討されましたが、シンプルで分かりやすいデザインを目指し、最終的に図形化されたピクトグラムが採用されました。

制作過程では、様々な試行錯誤が行われました。

例えば、「走る」という動作を表すピクトグラムは、最初、足を大きく前に出したデザイン案が考えられました。しかし、これは動きが分かりにくいという指摘を受け、最終的にはシンプルな線で表現されたデザインが採用されました。

4. 制作内容:20種目で表現されたシンプルさ

ピクトグラムは、20種目の競技を表現するために作成されました。各ピクトグラムは、人物や物体を簡潔な線で表現しており、一目見て意味を理解できるようなデザインになっています。

競技のピクトグラム

5. 制作者:勝見勝とデザインチーム

ピクトグラムの制作を主導したのは、デザイナーの勝見勝氏です。勝見氏は、戦前からポスターや広告のデザインで活躍しており、情報伝達のための視覚デザインの重要性を認識していました。

デザインチームには、勝見氏以外にも、亀倉雄策氏、田中一光氏など、当時日本を代表するデザイナーたちが集結していました。

6. 日本社会への影響:情報化社会の先駆け

この「国際的なスポーツ競技大会」ピクトグラムは、日本社会に大きな影響を与えました。当時、日本ではテレビの普及が進み、情報化社会への転換期を迎えていました。

ピクトグラムは、言葉に頼らず情報を伝達する視覚言語として、情報化社会におけるコミュニケーションデザインとして大きな可能性を秘めていました。

羽田空港施設案内ピクトグラム

7. 世界への影響:国際規格としての確立

1964年東京「国際的なスポーツ競技大会」ピクトグラムは、世界中の注目を集めました。

そのシンプルで分かりやすいデザインは、言葉や文化の壁を超えて理解することができ、国際的な視覚言語として高い評価を受けました。

1972年には、国際標準化機構 (ISO) によって国際規格として正式に採用されました。現在では、世界中の様々な場所でピクトグラムが使用されています。

8. 現代におけるピクトグラム:進化と継承

東京「国際的なスポーツ競技大会」ピクトグラム誕生から60年経った現在も、ピクトグラムは様々な場所で活用されています。

交通標識、トイレマーク、製品取扱説明書など、私たちの日常生活に欠かせないものとなっています。

現代のピクトグラムは、東京「国際的なスポーツ競技大会」ピクトグラムのシンプルなデザインを受け継ぎながら、より洗練されたデザインへと進化しています。

また、デジタル技術の発展により、動きのあるピクトグラムやアニメーションピクトグラムなども登場しています。

まとめ

1964年東京「国際的なスポーツ競技大会」では、ピクトグラムが初めて広く使用されました。

これらの視覚言語は、言葉や文化の壁を超えて情報を伝達する手段として、世界に大きな影響を与えました。

このピクトグラムの開発は、情報化社会におけるコミュニケーションデザインの可能性を広げ、現代社会における不可欠な要素となりました。

特に、勝見勝氏を含むデザインチームは、国際的なコミュニケーションの問題に焦点を当て、その功績は競技大会のレガシーとして世界に広がりました。

競技大会後も、ピクトグラムは世界中で使われるようになり、ユニバーサルデザインの一環として、人々の普遍的なコミュニケーションに大きく貢献しています。

当時のデザインチームが持っていた社会への貢献意識やグローバルな視点は、今日でも多くのデザインに影響を与え続けています。

デザインのオープンソース化という画期的な試み

ピクトグラムが世界に浸透した理由の一つとして、著作権放棄が大きく影響したと考えられます。

ピクトグラムの制作者である勝見勝氏は、ピクトグラムを社会に還元したいという思いから、著作権を放棄しました。これは、当時としては非常に画期的な決断でした。

著作権放棄により、デザインのオープンソース化、つまり誰でも自由にピクトグラムを使用することが可能になりました。その結果、ピクトグラムは世界中の様々な場所で、様々な用途で使用されるようになりました。



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m.m

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