人生で初めて海外で英語での会話ができた喜び <オーストラリア修行編 5>
会話のようなもの
そのイギリスから来たという旅行者はとても話好きな人で、1を聞くと10ぐらい答えてくれます。
実際は、質問だけして相手の話はほとんど聞かず、頭の中では次の質問を考え、それを密かに何度も練習して、ちゃんとした発音でその質問をする、という禁じ手を使っていたのですが
事情を知らない人が見たら、英語でとても流暢に会話をしている二人に映ったことでしょう。
しかしそれでも聞きっぱなしとはいかず、やっぱり相手からも質問されるわけですよ。
自分の質問の直後にされたものであれば、同じ質問をこちらにしたのだろうと察しがつきますが、
頭の中で質問を探すのに集中しているときに聞かれると、まったく対応ができません。
質問と答えの落差
そんなときは潔く Sorry? ともう一度質問を聞きなおして、今度は一転、その質問の聞き取りに全力を集中して、ふさわしい答えを出す
と言っても文なんて組み立てられませんから、単語で答えるのが精一杯。
しかもこちらから質問するときは、こっそり頭の中で何度も発音練習してから口に出しますから、しっかりとした発音で言えるんですよ。
そらシンクロ読みを死ぬほどやってきて鍛えてましたからね。
ところが相手の質問に対して答えるときは、言いたい単語を思い出すことに時間がとられ、いちいち練習している暇がありませんから、急にカタカナ発音になる始末。
質問 → ちゃんとした「文」を、ちゃんとした発音で
答え → 「単語」だけ、しかもカタカナ発音
その落差のまぁひどいこと。
遠い自動化
発音に関してはもう「自動化」したと思っていました。つまり全く頭を使わなくても、必要に応じてちゃんと口を動かし、正しい発音を出せると。
が、他のもっと大変な作業に頭がとられてしまうと、
発音にまで一切頭を回せなくなって、以前のカタカナ発音でたどたどしくなってしまう
つまりほんとうの意味では自動化していなかった、ということ。
こちらから質問をしている間はうまく行っていましたが、手持ちの質問が底をつき、向こうからの質問がメインになり始めると、
答えがなかなか出せない時間が増えていき、結局会話は終わりました。
まぁ実際にはその人だって鬼じゃないですからね。外国人が言葉が不自由ななりに、一生懸命相手の国の言葉で会話しようとしている、
その熱意だけは通じたと思います。
「人生初」の喜び
こんな独りよがりなもの、とても「会話」とは呼べないわ、と思われるでしょうが、それでもそのときはこれが精一杯でした。
いずれにせよ、これまでは道を聞くだけでしたから、生まれて初めて外国人と会話(らしきもの)ができて、自分としてはそれがめちゃめちゃ嬉しくて
英語から逃げ続けていたそれまで33年間の人生では、というよりそのほんの数ヶ月前までは、
海外に行って自分から外国人に話しかけて会話をする、なんてこと想像もできませんでした。
だって20代で行った海外では、いつも旅行中ほとんど誰とも話さずに旅が終わっていたんですから。
そう考えると、あの3ヶ月の本気の努力、というのが、人生を変えてくれたということになります。
第二ラウンド
その後話し終わって部屋を出てみると、ラウンジには数人の外国人客が。
「うぉー、英語使いたい放題じゃん」
さきほどの成功(?)ですっかり気を良くした僕は、この貴重なチャンスを逃すまいと話しかける相手を探しました。
これだけ読むと、どんだけ社交的な奴なんだって思われるかも知れません。
でも本当は引っ込み思案の上に、超がつく人見知りなんです。
「英語を使いたい」という欲求が、人見知りにうちかってしまっただけで。
さすがに人前で話すのは恥ずかしかったので、一人離れたところにいたドイツ人に、例の「質問わんこソバ」作戦で話しかけました。
今度は英語のネイティブじゃなかったということもあり、話すスピードはさっきのイギリス人よりもゆっくり目で、
さらにこちらの質問もさっきと同じパターンだったので、頭の中でそれほど練習しないで済んだ分、一度目の会話と違って、相手の話も結構聞き取れました。
これは...外国人と会話ができている...じゃないか
思ったのは、やっぱりネイティブと、ノンネイティブとの会話の難易度は段違いだということ。お互いノンネイティブ同士ならなんとかいける。
孤独な夜のはじまり
こうして生まれて初めての外国人との「会話」を終え、頭はくったくたに疲れ果て、大満足してベッドに入りました。
ところがそこから活動し始めるのが、宿に長期滞在しているらしい日本人のグループです。
彼らは外国人とは一切交流せず、夜になって日本人だけで集まり、ガンガン音楽をかけて楽しむスタイル
本当のところは人生初の「パックじゃない」海外旅行で、しかも初めての地で一人、ということで不安も大きく、
同じ日本人と交流したい、という気持ちもあったのも確かです。
しかし出発前に決めた「日本語は一切使わない」という自分との約束を守って、日本語がわからないふりをしてその輪には加わらず、
耳をふさいで一人ベッドで孤独な夜を過ごしました。
ところが英語の場合は集中しなければ聞き取れないのに、
母語と言うのは恐ろしいもので、日本語は聞きたくもないのに、勝手に耳から入ってきてしまいます。もう気になってしゃあない。
おかげで時間の経つののまぁ遅いこと。
続きます。
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