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「陰翳礼讃」をわかりやすくする

谷崎潤一郎さんの有名な随筆文「陰翳礼讃」を取り上げます。読み仮名は「いんえいらいさん」と言います。

この作品では、陰翳、つまり「影」について述べています。例えば食器について、西洋食器は光りすぎるので日本家屋に合わないだとか、漆器にある緊迫は日本家屋と調和していて、緊迫がわずかな光を反射することでよりいっそう美しく見える、といった趣旨の話が続きます。

引用した以下の文は、わりと冒頭に登場します。

私にはそう云う学理的のことは分らないから、たゞぼんやりとそんな想像を逞しゅうするだけであるが、しかし少くとも、実用方面の発明が独創的の方向を辿っていたとしたならば、衣食住の様式は勿論のこと、引いてはわれらの政治や、宗教や、藝術や、実業等の形態にもそれが廣汎な影響を及ぼさない筈はなく、東洋は東洋で別箇の乾坤を打開したであろうことは、容易に推測し得られるのである。
(谷崎潤一郎「陰翳礼讃」より引用)

かんたんな表現を使う

元の文章は、現代の目線で読むと少し読みづらいのではないでしょうか。読みづらさを生み出す原因はいくつかありますが、ここでは3つだけ取り上げます。

漢字をひらがなにする“ひらき”

1つずつ見てみましょう。最初に、補助動詞や補助形容詞をひらがなで表現することです。漢字をひらがなにすることを「ひらく」とか「ひらき」と言います。選挙のポスターでもおなじみですね。

では補助動詞や補助形容詞とは何でしょうか? このnoteは国語のテキストではないので、連文節だとか連文形だとかいう話はしません。手っ取り早く例をみてください。

「ネットで動画を見る」の「見る」は動詞、「検索してみる」の「みる」は補助動詞です。「検索してみる」の方の「みる」は、実際にはじーっと見ているわけではなく、意味を添えているだけです。このような言葉は、新聞や雑誌などでは“ひらき”ます。

ほかにも補助動詞として「置いておく」「買ってくる」「飛んでいく」「助けてやる」「教えてもらう」などがあります。「教えて貰う」などと漢字を含めて書いてしまうと、読者は一瞬「何をもらうんだろう?」となります。それを避けるために“ひらく”のです。

お堅い表現は避ける

話し言葉であまり使わない表現で、文章にはまあまあ登場するものがあります。そういった「文語表現」は、できるだけ用いない方が読みやすいです。

こういった表現方法は、かっこいい反面、ひんぱんに使うとうるさく感じます。論文でも、「〜の証左である」が1ページに2〜3度登場すると、読者が飽きてしまいます。

例えばその章のなかで“ここだ!”と思う場面で、1度だけ使うなどの工夫をするといいですね。

漢字が多いと読みにくい

わかりやすい表現のコツとして、熟語を連続させない、というものがあります。下の図の例1は、新聞の見出しからとりました。漢字が多いと、コンパクトにたくさんの情報を伝えられるメリットがある反面、読みづらくなります。

無理にひらがなに変換しなくても、「消費税法案」を「消費税の法案」と助詞をはさむことで、少し読みやすくなります。

また、例2のように「発生した」などの熟語より「起こった」のような表現の方が理解が早くなります。たかが漢字1文字の違いですが、こういった表現の積み重ねによって、文章は読みやすくなります。

漢字は読みづらい、ひらがなは読みやすい

私の記者時代、漢字ばかりの原稿を書くと「何だこれは?漢詩か?」と、デスクに言われました。漢字が多くて読みにくい、ということです。

漢文が得意な方はともかくとして、ほとんどの方はひらがなの方が理解は早いと思います。「平仮名」「カタカナ」よりも、「ひらがな」「カタカナ」の方が読みやすいですよね。

「こっちの方が読みやすいよな」と思う部分については、できるだけひらがなやカタカナにした方がいいでしょう。私が理想とするのは、糸井重里さんの文章です。ひらがながとっても多いのに、なぜか読みやすく、やわらかくて、ほっこりします。

「陰翳礼讃」をわかりやすくする

それでは、陰翳礼讃の文章を、思い切ってわかりやすくしてみます。

私は学術的なことはわからないので、ただぼんやりとそのように想像するだけである。だが仮に、東洋に独自の科学文明が発達して独自の発明が起こったとすれば、衣食住の様式はもちろん、ひいては政治・宗教・芸術・実業などが大きく変わっただろう、東洋は東洋で別の文化が生まれたに違いないと、簡単に想像できるのである。
(谷崎潤一郎「陰翳礼讃」より引用・改変)

元の文をもう一度掲載します。見くらべてみてください。

私にはそう云う学理的のことは分らないから、たゞぼんやりとそんな想像を逞しゅうするだけであるが、しかし少くとも、実用方面の発明が独創的の方向を辿っていたとしたならば、衣食住の様式は勿論のこと、引いてはわれらの政治や、宗教や、藝術や、実業等の形態にもそれが廣汎な影響を及ぼさない筈はなく、東洋は東洋で別箇の乾坤を打開したであろうことは、容易に推測し得られるのである。
(谷崎潤一郎「陰翳礼讃」より引用)

いかがでしょうか。実は前段に「西洋文明と同じような科学的な発展が東洋でも同時に起こっていたとしたら」という意味の文章がくっついています。意味がわかりやすいよう補っているので、少し読みやすいかと思います。

陰翳礼讃の中身と補足

「陰翳礼讃」は、戦前の昭和初期の作品です。西洋文化では部屋の隅々まで明るくして影を消すのに対し、日本ではむしろ建築様式や和食器など生活のあらゆる部分で影を認め、それを利用した芸術がさかんになった、という趣旨が書かれています。

作者の谷崎さんは、「細雪」などの小説でも有名です。この随筆でも、生活の細かなところまで観察していて、なるほどなあと思うことが多かったです。

漆器の椀のいゝことは、まずその蓋を取って、口に持って行くまでの間、暗い奥深い底の方に、容器の色と殆ど違わない液体が音もなく澱んでいるのを眺めた瞬間の気持ちである。人は、その椀の中の闇に何があるかを見分けることは出来ないが、汁がゆるやかに動揺するのを手の上に感じ、椀の縁がほんのり汗を掻いているので、そこから湯気が立ち昇りつゝあることを知り、その湯気が運ぶ匂に依って口に含む前にぼんやり味わいを豫覚する。
(谷崎潤一郎「陰翳礼讃」より引用)

表現がうまいですよね。椀物をいただきたくなります。さすが「大谷崎」と呼ばれ、ノーベル賞候補になっただけあります。

【補足事項】ここでは、現代に生きる人たちがよりわかりやすく情報を伝えるためのトレーニングとして、一般的に名著と呼ばれる書籍の文章を引用しています。修正や補完は、あくまで「現代に暮らす人たち」が理解しやすくするためのものです。登場する名著の文学的価値は依然として高いと考えています。その芸術性を否定したり不完全さを指摘したりする意図はないことを、強く宣言します。また引用した文の作者の思想や主張に、同意するものではないことも添えたいと思います。

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