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人生は長距離走ではなく短距離走

人生は長い旅路の様なもの?

近頃世間では、人生100年時代と言われている。
健康寿命と言われるように、元気なら長生きも悪くないかも知れない。

もしも、人生がマラソンならゴールははっきりしている。
42.195km先がゴールだ。

しかし、ゴールの見えないマラソンは苦痛でしかない
それでは我慢比べになってしまう。
リタイアしたら、そこがゴールとなるだろう。

自殺する人は、ゴールまでの遠さに耐えることが出来なくなる。
わたしの親友がそうだった。

人間は、暇を持て余すとろくなことを考えない。
例えば、犯罪者の多くは無職あるいは自称〇〇。

マラソンは、心の中にゴールが見えているから耐えられるし記録も伸びる。

一日一生と言う。
今日の夜の寝床がゴール。

そこまでをゴールとして、それを目標に一日を生きる。
毎日それの繰り返し。

それじゃあ、つまんねえ?
生きていること、それ自体に意味があると思う。

人生に棚ぼたはそうない。

繰り返しの先に本当のゴールがある。
望む未来があるかも知れない。
今日一日なら辛いことも我慢出来るかもしれない。

人はいつどのような理由で死んでしまうかもわからない。

あした不慮の事故で死んでしまうかも知れない。
暴漢に襲われて命を失うかも知れない。

長く生きれるとは誰も保証はしてくれない。

もしも、明日自分が死ぬと分かっていたら、
今日の自分はいったい何をするだろうか?

人生は長距離走ではなく短距離走。
人生を御大層に思うから苦しくなる。

毎日、短距離走の繰り返しだ。
今日を悔いのないように、ただ走る。

泣いたり、苦しんだり、笑ったり、怒ったり。

そして、疲れたら寝る。
シンプルにシンプルに、ただ生きる。


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