見出し画像

ファクトフルネスの雨を降らそう

1. 嘆息

組織人として、多分、これまでデータは散々いじり倒してきた。でも、ファクトとかKPIとか見える化とか言いながら、なぜか新規案件や設備投資の話となると、途中で(おおよそ最後のエッセンスとして)盛った数字が好まれる。例えば、既存データからは十分な定量(コスト削減)効果が見えないのに、あとこれくらいは必要だと逆算され、かなり心地よい数字が誕生する。

大風呂敷を広げることも必要だと思う。ただし、思い込みだけの情報が一人歩きするのはうっとうしい。いつか既成事実となり、反論の余地はなくなる。

2. 沈黙

「ファクトフルネス」 ハンス・ロスリング他著

訳者あとがきの最後にこんな問いかけがあった。
「もし、本書の感想をどこかで書いてくださるのであれば、あなたが以前、本能に支配されてしまったエピソードを添えてみるのはいかがでしょうか。」
結論から申し上げると、ほぼ毎日、何らかの思い込みや本能に支配されているのではないかと思う。なんだかんだ言っても、信じる道、信じたい道があり、社会のルールとどうやって折り合いをつけていくかの間で葛藤している。自分の当たり前にブレる、その反対側にブレる。まあ、要するに大から小まで本能に支配されてしまったエピソードだらけだ。

一方で自分の手に収まらないもっと大きなスケールになると、宗教も自然科学も巻き込んだ論争、「天動説」と「地動説」のことを思い出す。

歴史的に名高い一連の出来事だ。偉大な哲学者や教会という権威が、後世の科学者たちのファクト「地動説」をねじ伏せてきた。そのような時代背景が形成されていたという方がいいのかもしれない。特に、ガリレオ裁判は既成事実を覆すことの難しさを見ることができる。天動説から地動説へ、教会の謝罪とガリレオの名誉回復まで、どこを切り口にしても長い年月を必要としている。ちなみに江戸時代は260年間続いた。もっと長い。

画像1

3. 道標

今は変化とスピードの時代、データで世界を見ることができなかった時代は終焉している。科学の発展がファクトフルネスへのアプローチを進化させた。時間を惜しまない卓越した調査と検証で、正しいデータを正しく見せること自体がファクトフルネスの主役だ。著者(見せる側)の準備は整っている。

そこにもうひとつ必要なエッセンスは私たちの教養だろう。

#読書の秋2020
#FACTFULNESS
#ファクトフルネス
#NewSchool
#NewsPicks

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?