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ピカソとアートとサービス

先日、誕生日でした。

誕生日に車を走らせ箱根に行ってきました。

6年前の誕生日。その日は大学院の修士論文大詰めで、でも誕生日だし晩飯をコンビニで済ますのも難だなと思い、好きな定食屋に車で向かったらトラックに突っ込まれて車が廃車になったことを思い出しながら(身体は無傷だった)、いつもよりハンドルをしっかり握って運転しました。

彫刻の森にいって、その中にあるピカソ館に行きました。

ピカソの絵や作品を観たら、何か感じることはあるかな?という期待だけで来たわけです。

展示されてるピカソの作品の横には、製作年が書いてありました。
若い頃は割としっかりとしたタッチの人物画があり、年々独創的な作品になっていました。
でも、ほぼ同じ年代に作られた作品が、全く異なる作風で、なんというか一貫性がありませんでした。

普通、若い頃の作風が磨かれ削られ、その人なりのオリジナリティが確立されていくものだと思うのですが、それがなく、何だか掴みどころのない感覚でした。

展示物の周りの白い壁には、ピカソの残した格言が明朝体フォントで書かれており、芸術とはナンチャラカンチャラ書いてありました。

大抵の言葉は明朝体で書くと、それっぽく見えるので、この格言を丸ゴシック体にしたら何も響かねえよと思いました。

ピカソ館を出て、他の彫刻の森にある作品を見て周りました。

猫の彫刻、裸の女の人、変な石、などを見て周っているうちに何だかストレスが溜まってきました。

きっと美術大の先生とかが、この作品はあーでこーで素晴らしいとかいってたり、芸術評論家があーでこーで優れた作品だ、とか言っていることを想像していたら、美術大の先生と芸術評論家をぶん殴りたくなってきました。

きっと彫刻の森に展示されているから、良い作品なんだと思います。
でも、彫刻の森に素晴らしいアートを展示しておりますがこれを良い物と理解できますか?と問われている気がしてきて、顧客にずいぶん上からの物言いだな彫刻の森よ、と彫刻の森の展示物の近くに姿勢良く立っている警備員を脳内でタコ殴りにしてしまいした。

果たして、この作品の作者達は「良い作品」を創ろうとしていたのだろうか?
という疑念が沸いてきました。

この日私は31歳のバースデーなので、自分が理解できないものに対しても歩み寄ろういう謙虚で誠実な大人の姿勢でございます。

少なくともこの作品らの良し悪しを決めたのは、作者ではなく、観る側の人間達です。
これを展示しようと決めたのも観る側の人間達であって、作品は物言わぬただの作品。

言い換えれば、誰もが良いと思える作品はアートではなくサービスになってしまうと思うのです。

以前、バンクシーの作品がオークションで落札された瞬間に額縁に予め仕掛けられていたシュレッダーで断裁されるということがありましたが、これは誰が聞いても面白いしメッセージ性もある。

「アートが投機対象とされるオークションビジネスへの反発」
"Aが嫌だからBをするためにCという手段を取った" という筋道が明確で理解しやすい。理解しやすいということはアートというよりサービス寄りだと思うのです。(言葉遊びですが)

話が随分と飛躍しましたが、僕が彫刻の森とピカソ館を観て気がついたのは「自分は理解し難いものを理解したいという欲を持っている」ということでした。
そういえば、色んな人の考え方を聞いたり自伝を読むのが好きなのですが、それも「この人はこういう家族構成で、こういう学生時代を過ごして、こういう価値観が形成されているから、この職業でこういう考え方なんだな」と理解したいから好きなんだと思いました。

そして
ピカソ館から帰ってきた翌日に画材を買いに行きました。

絵を描いてみたいなぁと思いました。
買う前に何で描いてみたいのか?を考えてみました。
絵が上手くなりたい?人に見せたい?
あまりそういう願望はありませんでした。
別に上手くなりたくないなと思いました。

ギターやピアノをやるときは「上手くなりたい」と思うのに、絵は思わないのは何でだろ?と考えてみると、音楽は音階(ドレミファソラシド)があるので最低限の「ものさし」があるから、上手いか下手かが測りやすいからかなーと。

でも、絵は「ものさし」があやふやで、誰かの真似をしたら「模倣が上手い」だし、人の顔を描写できたら「似顔絵が上手い」だし。

そんなこんなで、小学校の授業でみんな絵描いてたのに大人になったら絵描いてる人に会わないなぁと思った。

たぶん大人になると「ものさし」がはっきりしてないことをやらなくなっちゃうからだと思う。

誰だって、人から理解し難いと言われたくないから、人から見て分かりやすいことを採るわけだよ。
仕事を頑張って収入あげたいとか、結婚したいとか、一般的に共通認識されてるであろう「ものさし」で測りやすいことをやった方が分かりやすい。

そう思うと、90歳までアートやってたピカソ凄いよ。一周まわって。
理解し難いから、2021年になってもピカソ館に入って首傾げてる人間がいるんだから。

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