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いったい私の何を知っているというのか

しばらく、こちらへ何も書いておらず、今日が新月ということもあり書いてみようと久々に思いました。

早速、最近感じたことを。

私は私であり、何者にでもなれるという話。

私はいままでずっと、ほど相手の事を優先に考えて行動してきていました。それは子供時代から自然と身についていたので、それが苦痛で仕方がないという訳でもなく、もうそれは当たり前のようにしていました。

そんな感じで40数年生きてきた訳ですが、アラフィフに近づいた頃に色々思い悩み、ようやく自分が他人軸で生きてきたこと、自分軸をすっかり見失ってしまっていたことに気づき、それじゃあ嫌だ!本当の自分って何なんだ!どこにあるんだ❓とひたすら自分探しをしてきました。

そして最近ようやく、自分の本心やどうしたいのかが分かってくるようになり、何かの引っ掛かりが取れてきた感じがありました。

まあ、話だすと色々書きたくなるので、この話はおいおいということにして、ようやく本題。

先日のこと。

少し前にプロのカメラマンに写真と撮っていただけるという撮影会に参加したのですが、その出来上がった写真を主人に見せてみました。

色んなポージングをしている私の写真を見て、主人の反応はまあまあ上々。まあ、あまりダメ出しをするような人ではないので、想定内の反応でした。

ところが、主人が見慣れていない私の服装で写っている姿を見て、「なんか違うなあ」と一言。そのポーズで写っている写真に対して、「違うな、なんか違う」と言い続け、そして、また違うポーズの写真(今度は比較的見慣れているらしい)を見て、ようやく落ち着いたみたいでした笑

ひたすら、違う違うと言われ続けたことに対して、どうこうというわけではないのですが、実際私もいつもとは違う私を表現したかったというのもあったので、心の中では「そりゃそうだよ!違う私を出したかったんだから」と密かなツッコミを入れていました。

そんな時ふと感じたことがありました。

主人の見ている私って、勝手に相手が感じているイメージなだけであって、そんなの私は知ったこっちゃない!って話。

そう考えたら、私以外の誰かが感じている私へのイメージなんて勝手なもので、一体誰が私の全てをわかっているの❓という話。

そういう私でさえ、まだまだ自分自身のことなんて分かりきっていない。というか、むしろ逆に考えれば、私は何にでもなれるということではないのだろうか❓

可愛い私、美人な私、ぶっきらぼうな私、妖艶な私、小悪魔的な私。。。

どれも私。

今まで、相手が思っている私へのイメージを、私は忠実に守ってその通りになれるように自分を作ってきました。「真面目できっちり」と言われたら、そうじゃないのよね〜と感じながらも、相手がそう私のことを思っているのだから、そうならないと!と作ってきました。

お母さんとして、嫁として、「こうあらねば。〜しないと。」家族の思い描いているであろう私へのイメージ像を決して崩してはいけないと。

全部、真実がそこにない状態。本当の私は置き去りに、言わば虚像。

そうやって、私は私を勝手に見失い、迷子になっていました。

全部1人勝手相撲(笑)


そうじゃない!

私は私であって、何者でもなく、また何者にでもなれる。

何だか、支離滅裂な気もするけど、私の中でははっきりしている。

またしっかりはっきり分かってきたら、ちゃんと書こう。結構な気づきだったので、とりあえず書いておかないと、備忘録的に。

しばらく、私の頭の中、心の中を吐き出しに、書いてみようかな。

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